デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

たくさんの人が幸せになるようなデザイン 〜ただパクるだけでは何も解決しない〜

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東京オリンピックのエンブレム問題以降、なんだかモヤモヤする事が多い今日此の頃です。

僕も四半世紀以上プロのグラフィックデザイナーとして仕事をしてきているので、佐野氏の件については色々と考えることがありましたし、各方面から「あれはどうなの?」とよく聞かれもしました。

東京五輪のエンブレム(なぜシンボルマークや大会ロゴマークなどと呼ばずに「エンブレム」なのかも気になって仕方ないことのひとつですが...)については、関係者の方々とお会いしたこともないし、状況など分からないので個別には何も言わないことにします。でもなんだかデザイナーやデザインに対する世間の風当たりみたいなものが、少し変わってきたようには感じます。まぁ、元から優れた無名のデザイナーはたくさんいましたし、ちゃんとした仕事をやっているデザイナーがほとんどだと思います。ただ、いい加減なことをしていると言われても仕方ないような、そんな仕事をしているデザイナーがいることも確かです。

※ここではデザイナーとディレクターを同義としておきます。本来違うのですが、僕自身、ディレクターとデザイナーを兼務することが多いので、ディレクションも兼ねるデザイナーということで。



引き出しとフィルター

以前、「デザインのコツはパクること」という記事を書きました。これはパクることを推奨しているのでは勿論ありません。デザイナーはデザインする時、またアイデアを練る時に、色々なことを考えます。色んなものを見ます。聞きます。そして、それらをすべて情報としてインプットし、デザイナー個人の様々なフィルターを通してアウトプットする時、そこにオリジナリティや個性が生まれると思います。

gridgraphic.hatenablog.com


僕はデザイナーがそれぞれ持つ「フィルター」こそが大切だと思っています。デザイナーが経験したこと、体験したこと、感じたこと、見たこと、学んだこと... 自分が遭遇したあらゆる事象を記憶し、カテゴリ分けして、それぞれの「引き出し」に入れています。そしてアイデアの芽を見つけた時に、今現在の状況と、今まで蓄積した「引き出し」から、あらゆるものを総動員してアイデアの芽に肉付けし、あるいはそぎ落とし、デザインへと昇華させます。

「引き出し」の中身は、感覚・感情的なことだけでなく、蓄積された知識や、人との繋がりなどもすべて含まれます。



まるっとはパクれない

この世にデザインされていないものはないという位、今や世の中にデザインされたものが溢れています。それは、おしゃれなものだったり、可愛かったり、使いやすかったりするための機能を与えられたものです。デザインとは、単に装飾的なことを指すものではありません。

で、デザイナーが企画やアイデアを考える際、つい有名な写真やアート作品、優れたデザイン物などを模倣することがあります。僕も若い頃は有名デザイナーの仕事を見ては模倣して訓練していました。(あくまでも訓練ですよw)そして、そこには憧れと今の自分にはできない何かを感じて、その優れたデザインを目指していたのです。

仕事として依頼される案件には、必ず様々な条件や設定などの縛りがあります。アイデア段階で、過去の優れたデザイン物のようにしたいといくらデザイナーが希求したとしても、実はそれほどバッチリと嵌まることはないのです。そのデザインをまるまる持って来ても違和感どころか、「なんなのコレ?」ということになります。



物事の本質を見ているか?

模倣をするということはデザイナーにとっては良いことだと思います。優れたデザイナーの良い仕事(デザイナーの仕事を作品と呼ぶことには違和感を覚えます。これはまた別の機会にお話します)から学ぶことはとても多くありますし、知っておくべきことでもあります。

ただの模倣〜パクリにならないためには、完全なる模倣が必要です。「完全なる模倣」をするには、そのデザインをしたデザイナーやその仕事を依頼したクライアント、その時代の背景なども知る必要があります。しかし、デザイナーの心情や考え方、コンセプト、クライアントのオリエンテーションなど知ることは不可能ですが、時代背景とその商品情報は知ることが可能です。ここからは想像力と妄想力に頼るしかありませんが、出来る限りそのデザインが生まれた背景やコンセプトを、その出来上がったデザインから辿っていきます。

そうすると、見た目のデザインではなく、そのデザインの骨子が見えてきます。なぜそういうデザインになったのか、そのデザインにはどんな意味があるのかが分かるようになります。正確には、分かったような気がします。。この「分かったような」が大切で、見た目だけを完全に真似ることは簡単にできます。今やMacAdobeのソフトと少しのテクニックがあれば何とでもなります。要はデザインの核、考え方とそのデザインが求める方向性を知ること、本質がどこにあるのかをデザイナー自身が考えるということなのです。

僕は若いころ、他人の優れたデザインを「逆読みデザイン」して、コンセプトや企画書をまとめることを日課にしていました。その上で、もし自分ならどんなデザインをするのかを考え、新たなデザイン案をつくることをやっていました。

実はこれ、最初に務めた会社の上司から命令されたことの一つでしたが、あまりにも忙しい毎日でほとんどの新人がやらなかったことを、僕はコツコツとやっていたのでした。そのお陰で今やどんなデザインも見た瞬間に「こういうことをデザイナーは考えたに違いない」と思うようになりました。正解かどうかは分かりませんし、簡単にそう思うことはデザイナーに対して失礼なことだとうとは思いますが、もう癖になってしまてるのです。。お許しください(口に出したりしませんからw)



たくさんの人が幸せになるようなデザイン

デザインは、それを生み出すデザイナーが、何かしらのものから影響を受けたものが反映されていると思います。またくの「無から有を生み出す」ことなど、なかなかできることではありません。ただ、今日お話したようなデザインやものごとの本質を見極めて、さらに良くするための工夫と努力、多くの人が幸せになるような何かがあれば、単なるパクリにはならないように思います。



あ。トップの画像は、今話題のデザインのパロディです。
パクリではなく、パロディです。オマージュかも知れませんし、リスペクトかも知れません(笑

 

河北秀也のデザイン原論

河北秀也のデザイン原論

 

 

デザインは結果がすべて

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スポーツや格闘技のように勝ち負けがハッキリと分かる世界とは違って、優劣が分かりにくく明快な勝敗のない世界・価値観の中で勝負するということは、ある意味ルールがないことにも通じる。それは即ち何をしても良いという世界なのだけれど、そこには誇りや挟持、愛といった目に見えないルールが存在する。人に約束すると言うよりは、自分に課す掟を持つ、覚悟をするということなんだと思う。

百の言葉で語っても、まわりの状況を説明しても、デザイナーの手から離れたデザインはそれ自体が人々を納得させるべきものである。


なんてことを考えてしまう、最近の騒動なのであります。。

今回は、ほぼ独り言です。




写真は日本一長いと言われる京都駅、0番ホームです。

HELLO WORLD 「デザイン」が私たちに必要な理由

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なんだか自分が何となく考えていることや、モヤモヤしていたりすることを、スッとすくってくれるような言葉に出会うことがあります。そして、まさに今のタイミングで出会う「本」というのがあります。

僕はタイトルやジャケットで本を買うことが多いのですが、今自分が必要としていることが書かれている「本」に出会う確率が高いように思います。これは直感力みたいなことかも知れません。

で、「デザイン」が色んな意味で注目されている今、これはお薦めしたい一冊です。
デザイナーも、デザイナーを目指す方も、またデザイナーでない方にも。本来のデザインが何なのかが分かると思います。ぜひ。


以下、この本の帯に書かれているデザイナー 深澤直人氏の紹介文です。

[アリス・ローソーンはデザイナーから最も尊敬されるデザイン評論家で、インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙にデザインについてのコラムを書いていた。インタビューのとき私は不思議な感覚をおぼえた。彼女は質問に対する答えを既に知っている気がしたのだ。同時にこの膨大なデザインの知の集大成を読みながら既知感覚ともいえる共感の喜びを感じていることにも気付いた。
この本は「デザインの事実」だし、論理ではなく「デザインの定義」の多様性を何一つ漏らさず詰め込んでいる。デザインという危うい美的な印象を持ちかねない言葉に疑いを持つ、誰もの矛盾する本音にはっきりと触ってもいる。
「デザインとは何か」。デザインはこの一冊で理解し尽くせると確信している。


HELLO WORLD 「デザイン」が私たちに必要な理由
アリス・ローソーン 著・石原 薫 訳
フィルムアート社 刊

 

HELLO WORLD 「デザイン」が私たちに必要な理由

HELLO WORLD 「デザイン」が私たちに必要な理由

 

 

ほんとうに必要なもの 〜それってデザインする必要ありますか?〜

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ロゴマークっぽくお願いします」
「シンボルマークとか欲しいよね」


「っぽく」や「とか」って何だろうか?

そして、何でもかんでも直ぐにロゴタイプやシンボルマークを作りたいとのお話を聞くけれど、それってほんとに必要なんだろうか。

なぜ、今ロゴをリニューアルする必要があるのか。
なぜ、今シンボルマークを新たに作る必要があるのか。

それらを新しくデザインすることで得られるものと、そして新しくすることで、捨てなければならないものがあることを考えたことがあるのだろうか。



例えば、パンフレット作りたいとの依頼。パンフレットに載せたい具体的な内容やイメージなどは当然として、僕が一番知りたいのは「なぜ今パンフレットを必要と考えたか」ということと、「パンフレットで何をしようと(何を得ようと)しているのか」だったりしする。

そういう視点で話を聞いていくと、その依頼主には必ず困っていることがある。「商品が売れない」や「ブランドが認知されない」など。

それらの問題を解決するために「パンフレット」を作ろうという結論を下されたようだけど、ここでひとつ問題がある。それは「本当にパンフレットがそれらの問題解決に有効なのか?」ということ。おそらく依頼主は、同業他社や知り合いや色んなネットワーク、情報から漠然と「パンフレットが有効なんじゃないか」と考えたはず。

しかし、問題を解決するにはもっと簡単で、もっと有効なことがあるかも知れなくて、逆に根本から考え直した方が良いこともある。例えば接客の仕方を変えるだけで売上が伸びることだってあるし、手描きのDMを送るだけで済むこともある。様々な要因と状況が複雑に絡み合って起こっている現象、これらを解決する手段や方法、アプローチも、実は無限にある。というか、どの解決方法が最善かを考えることが大切だと思います。そして、デザイナーはその解決方法を提示することが求められているのだと思います。

デザインは問題解決のためのひとつの方法であり、その仕組やルールを作ることがデザインの本質だと考えます。ビジュアルや形は、それらのコンセプトが表面上に現れるひとつの部分でしかありません。


いつもより少しトーンが硬くなったけど、企業・商店・商品・ブランド・イベントなどなど、あらゆるものをデザインすることで、何かを作る・変えるためには、何が必要で何が大切なのか、どうしていきたいのかというストーリーがないと薄っぺらい直ぐに消えてしまうものになると思います。


本来デザインとは、設計や計画を意味する言葉なのだから。


そういう意味では、2020年の東京オリンピックは現在準備段階ですが、日本人全員が共有できるストーリーがまだ無いのかも知れませんね。なんとか皆が希望の持てる、そして誇りを持って開催できる、世界中の人々をお迎えできるような大会になれば良いですね。



※写真は「モンセン・スタンダード欧文清刷集」。今では見かけなくなりましたが、僕がデザイナーになりたての頃は、これをトレースしてロゴを組んでいました。様々な書体を知ることになり、またこれをトレースしまくることで、文字の成り立ちや形の意味、バランスや空間など、とても勉強になりました。

下記に書籍の紹介をしていますが、デザイナーを目指す学生さんには特におすすめです。プロの方にもおすすめします。

 

フォントのふしぎ  ブランドのロゴはなぜ高そうに見えるのか?

フォントのふしぎ ブランドのロゴはなぜ高そうに見えるのか?

 

 

台風と祇園祭

 

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7月16日は、宵山です。そして、明日は前祭山鉾巡行ですが、どうも台風が直撃するようです。明日の朝5時30分までに中止かどうかが決まるようです。僕の記憶では、山鉾巡行が中止になったことはありませんが、調べてみたらありました。

直近では、四条通の地下で鉄道延伸工事があった1962年。まだ僕が生まれる前です。そして、悪天候が理由で中止になったのは1884年とのことです。その前になると「太平洋戦争(1941年〜)」、もっと前になるとなんと「本能寺の変(1582年)」とのことです。京都の人は「先の大戦」というと「応仁の乱(1467年)」を思い浮かべるという笑い話があるほど古い町なんですが、明日は山鉾巡航が延期になったとしても、台風で鉾が倒れたり、ケガをする人が出ないように祈ります。


さて台風といえば、昨日国会で法案が成立した「安全保障関連法案」。国会は大荒れでした。政治家だけでなく、憲法学者軍事アナリストなどからも様々な意見があり、国民の間でも賛成・反対真っ二つに分かれました。テレビや新聞の報道では、反対派の声が多かったように見えましたが、僕は賛成です。元々分かりにくい憲法を、解釈という捉え方で如何様にも変えられる状態よりも、誰が読んでもはっきりと理解できるものにする必要があると思うからです。


そして、与党や野党の言い分、国会内外でのやりとり、質疑応答の内容、審議時間など、どれも十分という感じはしなかったのですが、それはこの法案が「この国の先行きや僕達の未来まで変わる可能性があるかも知れない」というとても重要な決断を迫られるものだから、余計にそう感じたのではないかと思います。いくら審議しても、おそらく全員が納得できるものではなかったと思うし、消費税を上げることや高速道路を作ることなどといった法案よりも、何倍も慎重を期するものだとも思います。

で、一般的な国民は賛成派・反対派ともにですが、ちゃんとこの法案を自分自身で読んだ上で、自分の意思表示をしているのか?ということがとても気になりました。


こんな話があります。

沈没しようとしている船から脱出する際にボートが足りない時...

アメリカ人には「今飛び込めば、あなたはヒーローになれますよ」と言い、
イタリア人には「海に美女がいますよ」と言い、
フランス人には「決して海には飛び込まないでください」と言い、
イギリス人には「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」と言い、
ドイツ人には「規則ですので海に飛び込んでください」と言うと。。

そして、日本人には「みなさん飛び込まれましたよ」と言えば良いとw


新聞やテレビなんかが信用できない、かと言ってネットに流れる情報も定かではないとなれば、やはり自分で色んなことを見て聞いて、調べて判断するしかないと思います。先ほどのジョークのように、「みなさん反対(賛成)されてますよ」的な空気感で動いてしまうことが一番危険なように思います。

そして、この法案が衆議院を通過したのは、政府与党の数の暴力でも強硬採決でもないと僕は考えます。その過半数を与党に与えたのは、他ならぬ僕達なのですから。自分たちで選んでおいて、その代表である議員が議会を通して決めたことは、すなわち僕達の意見でもあるということです。

だから選挙には必ず行って、ちゃんと考えて投票しないといけないと思うのでした。色々とモヤモヤすることはありますが、それがルールだし、それこそが民主主義なんだろうと思います。ちなみに選挙権を得てから、棄権したことは一度もありません。


ということで、今夜はこの台風の中、宵山に行くのはやめておきます(笑

 

 

安全保障とは何か (シリーズ 日本の安全保障 第1巻)

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祇園祭のひみつ―コラムとクイズで解き明かす (月刊京都うんちくシリーズ)

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