デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

会話するSNS 「Dabel」について

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お久しぶりです。ぐりぐらです。
前回の更新から約ひと月経ってしまいました。

コロナ禍の非常事態宣言も解除、自粛要請も緩和されて少し色んなことが動き出しているように感じるけれど、まだまだ先が読めないという気もします。


このところ自粛で色々と変わったことや気づいたこと、感じたことがたくさんあるんだけど、自粛や外出しないということでも特に困るということは意外に少なく、むしろそれまではムダに毎晩飲みに行ったり、ムリに人に会ったりしていたんじゃないかと思うくらい、ここ2〜3ヶ月は静かで、ある意味では楽だった。

何よりお金を使わないので、移動や外食やイベントなんかで使っていたものが、本を買ったり、キッチンまわりを直したりフライパンを買ってみたり、庭を直したりと「自分だけの時間」という過ごし方が心地よく、自分に向き合うようで新鮮でした。

そんななか、友人から会話するアプリというか、声のSNS「Dabel(ダベル)」に誘われたので、今日は少し紹介したいと思います。



声だけのSNSが新鮮

SNSは、今まで色々と試してきて、結局安定的につづけているものが、TwitterInstagramFacebook(使用頻度の高い順にならべてみました)。まだ他にもあるけれど、Twitterは主に独り言で、Instagramは食べたもの、作ったもの、行ったとこをメモする感じ。Facebookは若干仕事の絡みもあるのと、自分が主催してるイベントなんかで便利に使ってる感じです。

そこに新しく「Dabel」が加わったんだけれど、これがとても新鮮。アプリはiPhone版で英語対応のみと、最初はハードルが高そうだけど、やってみるとこれが心地よい。僕の場合は、中学生の頃に受験勉強で聴いていたAMの深夜ラジオを思い出した。アメリカで先に流行って、日本に来たのがこの数ヶ月ということで、日本ではまだユーザーも少なそうなんだけれど、それだけに感度の高い人達が多く、色んな人がそれぞれ色んな番組(部屋=アプリから自分で何かを配信する状態)を立ち上げて、それぞれ実験をしてる状態でとても面白い。

アメリカでは、視覚に障害がある人達の間でコミュニケーションのツールとして使われだしているそうで、そいういう意味でも声だけのSNSというものに魅力を感じるし、先の展開が楽しみです。



人と話すことで自分の考えが整理される

僕も今、番組的なものを2つやってるけれど、最初は人の番組に入ってただ聴いていたり、時には招かれてその中で喋ったりする内に次第に慣れていきました。

ダベラー(Dabelのアプリ内にいる人)には面白い人がたくさんいるし、ビジュアルがない分話している人のことを想像するからイマジネーションが湧くし、相手にもこちらの映像が見えていなから、どんな場所でも格好でも良いので楽。そして、人の話し方や「声」というものにとても魅力を感じる。Twitterでもその「言葉」や「文字」にセンスを感じることがあるし、人柄もうかがい知ることができるんだけど、「声」のSNSというのはまた違った新鮮さがある。おそらくアプリを介して会話する=参加するという、世界観を共有できるからだと思うけれど。

直接対話できるのも、複数の人数で話すことができるのも、ダイレクトに反応やそこに居る人を感じられるので僕は好きです。なにより、人と話すことで自分の考えが整理されたり、気づいたりすることも多く、また人と対話することで新たに発見することもたくさんある。

そして日本人と日本語で話をしているけれど、実は話す相手は日本に居なくて、例えばサンパウロとかロサンゼルスとかベトナムに居て、リアルタイムで会話してることが意外に多かったり。



たくさんの人と話してみたい

ということで、僕はもう少しこの「ダベル村」(ダベラーが集まるコミュニティ)で色んな人と繋がって、実験的なこともしながら、色んな所へ擬似的に旅してみたいと思っています。

僕の番組は以下の通り。

●「デザインの余白 DabeL版」 不定期配信(だいたい水曜日、21時頃〜)
デザインを切り口に、ゲストを呼んで対談的なことをしたり、僕の経験を話したり、質問に受け答えしたりしています。雑談も多いかな。(ま、雑談や余計な話から色んな新しいことが生まれたりするんだけど)

dabel.app


●「NOBORDER」 配信未定(第一回目は昨日:6月8日配信)
世界に住む日本人とDabelを通して会話して、その国のお話や、その方の仕事や暮らしぶりを聞いたり、また日本に住む外国人と文化や習慣の違いなんかを聞きながら雑談するというもの。これは僕以外にもホストが2人います。

dabel.app


僕は色んな人、特にデザイナーと話してみたかったりするので、もし「話してやろう」という方がいらっしゃったら、「Dabel」で声を掛けてください。


ダベルでのアカウントも「ぐりぐら」ですw



■Dabel アプリはこちらから
https://dabel.app/

dabel.app

 

こういう時こそ、愛とユーモアだよね

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2020年5月6日。
約2ヶ月ぶりの更新です。

新型コロナウィルスにより、世界中が鎖国状態を余儀なくされ、日本でも非常事態宣言が出て外出自粛の日々のなか、GW(ゴールデンウィーク)も今日で終わり。外出自粛要請も5月末まで延期され、解除される前提で決まっていた週末の出張も、明日になるまで相手先とも連絡が取れない状況だったり。

自粛で飲みにも行けず、連休も自宅で読書をしたり、料理を作ったり、庭を掃除したり、部屋の模様替えをしたりと、それはそれで忙しかったりする。やはり何かしていないと落ち着かない性分なのかなと思ったり、割とどんな状況でも楽しみを探せてしまうのだなぁと思ったり。



祇園祭が中止に

僕の住む京都は、最大のイベントである祇園祭も今年は中止となりましたが、「居祭」という形で神事は執り行われるとのこと。元々疫病を鎮めるために始まったお祭りなので、取りやめてしまうことは本末転倒だという声もあるなか、やはり山鉾を建てると規制をしても人は集まってしまうということで、苦渋の決断だったと思います。(神事により疫病は鎮まることを願います)

ちなみに、これまで約1150年の祇園祭の歴史の中で、中止となったのは2018年の猛暑による花傘巡航の中止を入れても数えるほど。

◯2020年 新型コロナウィルス
◯2018年 猛暑(花傘巡航のみが中止)
◯1962年 四条通の地下で鉄道延伸工事
◯1941年 太平洋戦争
◯1582年 本能寺の変
◯1467年 応仁の乱

こうして見ると、地下鉄延伸のためと猛暑を除いては、その殆どが国を揺るがす大事=戦争の時なんですね。

gridgraphic.hatenablog.com

 


思い出した言葉

僕は第二次世界大戦後の昭和生まれなので、昭和・平成・令和と3つの時代に生きてきて、祇園祭が中止になるほどの「戦争」は体験してないけれど、考えると阪神淡路大震災東日本大震災をはじめ、度重なる天災を経験してきました。その都度、絶望的になりながらも日本人は災難を乗り越えて来ています。そして、きっとこのコロナも乗り越えられるという根拠のない自信のようなものがあったりします。


明日からもまた当分の間自粛は続きますが、自分にできること、そして自分がやらずに済ませられることも考えていきたいと思います。まずは、どんな状況でも明るく楽しく笑って居られる状況が作れれば、ストレスも少なく免疫力も下がらない気がします。

社会に広がる不安や不満、そして不信を助長するのではなく、こういう時こそ愛とユーモアが必要だと思うのです。「愛と怒りとユーモアと」という言葉を、僕はデザイナーとしていつも心に持っているのですが、今回は取り敢えず「怒り」を鎮めておきたいと思います。


最後に、幼い時に見たテレビ番組の冒頭に流れた言葉を思い出したので書いておきます。これはマザーテレサの言葉だと聞いたことがあり、なんとなく納得したのでした。



「暗いと不平を言うよりも、進んで灯りを点けましょう」




写真は、去年うちの庭に咲いた紫陽花。今年も咲くと良いなぁ。

 

ボールの話

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人生で最初に買ってもらったのは、バットとグローブ

小学生の時、一番最初に父親に買ってもらったのが赤いバットとグローブ、軟式の野球ボールでした。

僕が小学生の頃は、将来なりたい職業の第一位が「プロ野球選手」で、当時は王、長嶋がONコンビとして現役バリバリで、後に王さんがハンク・アーロンメジャーリーグ通算本塁打(ホームラン)記録の755本を抜いて、シーズン公式戦通算本塁打868本という偉業を達成し、関西でも読売ジャイアンツのファンが結構居た時代。男の子は、野球とプロレスとスーパーカーに熱中し、僕もジャイアンツカードなんかを集めてたりして、弟と並んで撮った写真は、僕がジャイアンツで弟がタイガースのキャップを被っていた。

そんな昭和の時代なので、だいたいの家庭では男の子はバットとグローブを買ってもらい、ドラえもんでみる光景のように、放課後には近所の空き地に集まって野球をする毎日だった。うちは野球嫌いで極真空手とボディビルを愛する父にも関わらず、近所の友だちと付き合えるようにバットとグローブを買ってくれて、休日にはキャッチボールにも付き合ってくれた。

なぜ赤いバットを買ってくれたのか、それは母が教えてくれたのだけど、巨人の川上哲治氏が赤いバットを使って居たからということで、僕はよく川上氏を知らないんだけど、父はどうせ野球をするなら川上哲治氏のようになって欲しいと思っていたらしい。

結局、小学生3年から、これも父の希望で剣道をはじめ、野球はその後まったくやらずに、どこかの熱烈なファンになることもなく現在に至るんだけれど。

 


ということで、今日はボールのお話。
フリーランスデザイナーとして、いつも心掛けていることを少しだけ。

 


デザイン以外の力と技術

僕の場合、フリーランスとして仕事をするなかで、多くの場合が中小企業や個人商店で、仕事の相談や依頼があっても、その依頼者から明確な資料や原稿が完璧な状態で渡されることは殆どありません。ヒアリングを繰り返して、聞き出して、手探りで真意を図り、場合によってはその会社が何をしたいかすらも提案することもあるくらい。

そういう場合、大体はこちらの希望や欲しい情報などを依頼者に伝えて、それらが出てくるのを「待つ」ことになります。そして、広報や宣伝部、企画室などある企業ならしっかりと情報が整理されて提供・支給されるんだけど、中小の場合は技術部門の人が広報を担当していたり、社長が企画をしていたり、営業も兼務していたりと、デザイナーが待ってても期待するような資料など出て来ずに、結局良くわからないままに進めてしまうなんてことがあるはず。

で、結局双方ともに消化不良、不完全燃焼で「?」な感じになってしまったり、クライアントは「なんか違う」とダメ出しをしたり、デザイナー側は「もっと情報をくれれば、もっとよく出来たのに」なんて思ったり。。


これって、良いことなんだろうか。
プロだから与えられた条件で、最良のものを作るのが当たり前では。。

などと思うけれど、その「与えられた条件」や「情報」をもっと引き出せていたら、できることは増えるはず。

ということで、フリーランスは、まず「聞き出す技術」が大切になってくる。そして、それらの聞き出した情報を、その会社の企画・広報の人間になった気持ちで「情報整理」する。そして、最も有効と思われる方向と方法でアウトプットする。

それは、依頼者(クライアント)が作りたいと最初に相談してきた媒体やツールでは無いかも知れない。けれど、その会社やお店のために今、最良の提案をする「話す技術」も必要になってくる。そういう「デザインのまわり」の技術や知識、力もフリーランスには大切な、備えておくべき武器だと思います。

 


すべての仕事をなくして気づくこと

これらのことをスムースに、そしてスピーディに行うために、会話やデータのやり取りが必要になるけれど、これを僕はボールのやり取りで例えています。一回の質問や受け答えを1ターンとして、ボールを投げて、そして受け取る。

デザイナーが質問なり要望を伝え(ボールを投げ)て、その返事(ボール)がまた返ってくるんだけど、できるだけボールは向こう(依頼者=クライアント)に預けておく。というか、デザイナーがボールを持つ時間を最小限に詰め、先方には考えたり何かをする時間を最大限与える。そうすることでプロジェクト全体の進行が早くなるし、そして出てくる情報も増えて、デザインする際の選択肢も増えるし正確さもアップする。何よりも依頼者の印象が良くなる。(←ここ大事)

一番ダメなのは、忙しさのあまりお尻に火がつくまで作業できないこと。どちらかと言えば、クライアントに「アレ、どうなってますか?」などと言われることがあるというデザイナーが実は多いと思う。僕も最初の頃はそうでした。だって忙しいし、ひとつのクライアントの仕事だけをやってる訳じゃないんだから。

でも、クライアントにとっては、唯一頼んでるのは僕だけだし、頼りにしてくださっているのだから、口が裂けても「お宅の仕事だけをやってるんじゃないんです。もう少し待ってください」などと言わないこと。すべての案件を全力で、持てる力のすべてを使って絶対良くするという気持ちで取り組む。明日、死んでも構わないというくらいに。

(僕は一度、すべての仕事失ったことがあります。本当にあの思いは二度としたくない...)


ということで、クライアントとのやり取りをボールのやり取りに例えましたが、相手とのやり取りや情報交換が増える(増やす)ことで、よりクライアントのことも、商品のことにも理解が深まるし、そうなることでまた違う角度での提案や新たなアイデアも浮かぶし、それらがすべてクライアントのためになれば、結果的にデザイナーとして次の仕事も増えることになるんだし、すべて上手く行く気がします。

根底にあるのは、「自分のデザインで誰かの、何かの役に立ちたい」ということに尽きます。そのためにフリーランスになったんだし。



他のフリーランスデザイナーにとって、少しでも参考になれば嬉しいです。
今回もちょっと長い文章になったけれど、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

グリグラでした。

 



↓ これ、めっちゃ面白いです。ぜひ。

「ない仕事」の作り方 (文春文庫)

「ない仕事」の作り方 (文春文庫)

 

 



印刷とコストについてのちょっとした話

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ガシャンガシャンと高速で刷られる印刷物。僕は現場が大好きです。



どんなデータでも印刷してくれるネット印刷


最近ではWEBから入稿できる印刷、所謂ネット印刷を利用することが増えた。その理由は、クライアントから「印刷は◯◯◯でお願いします」と言われることもあるし、案件によってはコストパフォーマンスが高いと感じる場合もある。昔に比べて紙の種類も増えたし、印刷の質もそれほど悪くないし、対応もきちんとしている。中には気持ち良いくらいの会社もあるくらい。印刷(紙質や様々な加工など)を知っていて、目的と用途を見極めて使い分けるのであればとても良いと思います。

しかし費用が安い分、データ作成から入稿などデータをちゃんと作成し、指定などもしっかりとして、もちろん自己責任で管理しないと加工で間違ったり、思っていたものと仕上がりが違ったりすることが起こります。昔ならの印刷会社に連絡して、営業さんに版下データを送るか直接渡し、どういう加工をするのか、またどんな仕上がりを期待するのかを伝えると、例えば不完全なデータでも完成まで持っていってくれます(修正等が必要な場合でもそのことを伝えて対処してくれる)。そのかわり、印刷費用にはその営業経費や諸々のコストが必要となるため、どうしてもネット印刷よりは割高になってしまいます。逆に言うと、その確認や仕上がりまでの管理などを自分で行うから、ネット印刷はその分のコストが差し引かれて安くなるということ。

最近ではグラフィックデザインや印刷の知識がまったく無くても、またAdobe系のアプリケーションを使わなくても(エクセルやパワーポイントでページもののデータを作る凄く器用な方もいる)、モリサワのフォントが無くても、Macじゃなくても、まったくのド素人でもネット印刷なら印刷物として仕上げてくれます。これは凄いというか、プロのグラフィックデザイナーとしてはある種恐怖を感じるけれど(笑)。昔ながらの印刷会社でも勿論やってくれるのですが、一般の方はまずルートがないし、電話帳(もう使わないよね)に乗っててもそこが良い会社(どのような印刷が得意な会社)かどうか判断できないから結構敷居は高いと思います。


自分で首を絞めた印刷業界

で、ここ20年ほどでデザイン業界の制作工程も変化し、Macの普及によって写植屋さんがまずなくなり、製版がなくなり、ネット印刷の発達で印刷会社も激減しました。元々、印刷業界がいち早くMacを導入し、デザインから印刷までダイレクトにできると推進してきたのですが、僕は当時からそれは「自分の首を締めることになる」と思っていました。結果は、資本力のあるところやアイデアのあるところだけが残る世界となりました。

京都なんかは、紙屋さん、製版屋さん、印刷屋さん、加工屋さん...と小さな会社が流れ作業のようにそれぞれ仕事を分担して成り立っていました。支え合っていたと言っても良いかも知れません。大手の印刷会社が受けないような小ロット、多品種のものづくりをするにはとても良かったのですが、景気の低迷もあり、大手がその小さな仕事まで受けるようになり、またネット印刷などの普及でそれら町の印刷屋さんはなくなってしまいました(と断言してもよい程に減ってきています)。僕の妻の実家も輪転機が2台あるだけの小さな印刷会社でしたが、もう10年ほど前に廃業してしまいました。


印刷費の請求について


若いデザイナー(特に若いフリーランス)が、今あるコストパフォーマンスに優れて便利なネット印刷に頼るのはとてもよく分かります。そして、紙やインクなどにもこだわり、最近ではまた活版印刷に注目が集まっているのも当然の流れだと思います。様々な技術や技法を知ることは、それだけグラフィックデザインをする上での選択肢=デザインする上でのジャッジメントの幅が増えると言うことでもあります。

今回のタイトルを「印刷とコスト」にしましたが、それは若いフリーランスのデザイナーから聞かれる「印刷費をどう請求しているか」との質問に答えたかったから。

仕事を受ける際、見積りを提出して了承を得て、次にラフを作成して提案することが多いと思います。逆に、先にラフを作成してから見積もりをすることもあると思うけれど。

項目としては…

1)プレゼンテーション
2)ディレクション
3)デザイン
4)コピーライティング
5)撮影(またはイラストなどのビジュアルに関する費用)
6)印刷・加工
7)その他

上記の項目が基本となります。


印刷については、通常の印刷会社と組む場合、その印刷会社が了承すれば、僕のクライアントに紹介をして、印刷会社から直接印刷費用についての見積りを出してもらう。そして直接納品、請求までしてもらう。僕のところは「印刷管理費」として入稿の手配だとか、色校正のチェックだとか、データのやり取りだとかの経費などをクライアントから頂戴します。僕のところで印刷物を含むすべての費用を取りまとめて、一括でクライアントへ請求することも勿論あるけれど。
ネット印刷の場合は、クライアントの了承を得て着払いなどで直接お支払いいただき、こちらも「印刷管理費」または「入稿代行費用」としてデザイン及びデータ作成費用等とは別に頂戴します。

昔だと、印刷費用はすべてデザイン会社が管理して、印刷のコストも工程も印刷会社自体もブラックボックスにして、費用については若干不透明なところもありました。取引の性質上、デザイン事務所が窓口となり、費用の回収までするのが業界の慣例でもあり、印刷会社が直接クライアントと接触するのを嫌うという理由もあったと思います。
僕はデザインも含めて、すべて透明で誰にも不利益のない、誤魔化しのないやり方をしたいと独立時に決めました。ましてやブローカー的なことはしたくなかったんですが、実はその手数料的な部分が、利益を生むところでもあるのかも知れません。誰に聞かれても上記のように答えるんだけど、逆にみんなはどうしているのかも知りたいところです。


ということで、印刷のコストと請求方法について、皆さんの参考になれば幸いです。

 



↓ 印刷といえば、この本。めっちゃ、おすすめです。


『いとしの印刷ボーイ』と『印刷ボーイズは二度死ぬ』の2冊(ともに奈良裕己著)
印刷の豆知識も散りばめられてるし、グラフィックデザイナーあるあるで腹筋も鍛えられます(笑

いとしの印刷ボーイズ

いとしの印刷ボーイズ

  • 作者:奈良 裕己
  • 発売日: 2018/06/12
  • メディア: 単行本
 

 

ジュンク堂書店京都店がなくなると、迷子になれなくなる話

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ジュンク堂書店 京都店が2月29日で閉店するとのこと


 

本屋さん、それも結構大きな書店が無くなるということで、ちょっとショックを受けました。本は、本当に売れなくなってしまったのか、それともAmazonなどのネットでは売れているのか… などと知りたいことや疑問はたくさんあるけれど、その対策なんかを考えるのは専門家に任せよう。

僕が小さな頃は、それぞれの町に小さな本屋さんがあった。おじいさんが独りで店番していて、天井から床まで全部本棚で、お客さんが店内ですれ違うのも難しいくらいに通路が狭くてびっしり本が並んでいる感じ。店頭には週刊誌が平積みされてて、ジャンプやコロコロコミックなんかがあって、年末にはドラえもんカレンダーが吊ってあったりして、いろんな雑誌と混ざってちょっとエッチな写真誌があったり、奥の一角には黒い背表紙のフランス書院文庫なんかが、人目を憚るように置いてあったり…。おそらく小学校の校区毎に本屋さんはあって教科書の販売などもしていていたと思う。その指定書店以外にも昭和の頃は「町の本屋さん」がたくさんあった。そして、町の本屋さんには色というか癖というか、店主の好みというか、なんとなく置いてる本の種類やジャンルがあって、それが町の本屋さんの個性になっていた。

ある店はビジネス書が豊富だったり、またある店は参考書や辞書が揃ってたり、また違う店は料理やペットや手芸や登山など趣味関連の本が充実してたりと、一軒一軒同じように見えて、実はかなり品揃えが違っているのが僕の知る「町の本屋さん」だった。今では少数派になってしまったけれど。いや、まだそういう「町の本屋さん」はあるのだろうかと記憶をたどると、実家の近くに子供の頃よく通った本屋さんが残っていた。
今やお店の半分をレンタル着物店にし、残りの書店スペースも大半が漫画、あとは申し訳程度の雑誌と実用書があり、店舗の大半がカードゲームの陳列スペースとなっている。もはや書店なのかゲームショップなのか微妙な感じで、雑誌の品揃えも近くのコンビニの方が多いくらいではないだろうか。子供の頃は、大きな町(京都なので四条とか)へと行けないため、学校の図書室を除いては小さな町のその本屋さんが書籍に触れる貴重な場所のひとつだった。辞書や参考書を探し、週刊誌や漫画はすべてその本屋さんで買い、夏休みの宿題の夏目漱石太宰治など文学や石川啄木宮沢賢治などの詩集もその本屋さんで買ったと記憶している。

そんな町の本屋が消えてしまって久しい気がするけれど、それで今困っているかと言えば特に困ることはない。残念なだけである。僕がもっともっと町の本屋さんで本を買っていれば、そういう色のある本屋さんらしい本屋さんが今も町のあちこちにあったかも知れない。


とは言え、本屋さんが無くなることで文化が廃れるとか、若者は本を読まないとか、そんなことを言うつもりはまったくなくて、本屋さんが無くなると僕の楽しみである「迷子になる」場所が減るのがちょっと残念だったりするだけである。



本屋さんで「迷子になる」

本屋さんで「迷子になる」とはどういうことか、共感されるかどうかは分からないけど書いてみます。

例えばある日、僕が欲しいまたは読みたいと思った「目的の本」が明確にあって、まずは本屋さんに行く… ということは最近はあまりない。明確に本のタイトルや著者、出版社などが分かっていて、その本が必要である場合はAmazonで発注してしまうから。どちらかと言うと、そのAmazonで買った本が面白かったりして、その著者の別の作品が読みたくなった場合に書店へ足を運ぶということが多い。また、なんの用事もないのに本屋さんの前を通ってしまい、とりあえず中に入ってしまった場合など、先程の「迷子になる」現象が起きてしまう。こっちの方が確率は高い。

京都のジュンク堂書店の場合だと、まずは店頭に平積みされた書店のおすすめ・売れ筋作品から目を通し、雑誌コーナーを一巡り、新書コーナーと流れて、美術デザインのフロアへ行って、写真集やデザイン書などでタイトルを横目に見るともなく見ながらウロウロする。良い本(僕のなかで相性の良いもの)はオーラが出てて「手に取れ〜!読んでくれ〜!」という声が聞こえる(ような気がする)。その声に従って、おもむろに手にとってパラパラと数ページを見る。で、一冊の本を購入しようと決定すると、自分の中のハードルが一気に下るのか、それとも本に対する物欲センサーのリミッターが外れるのか、目につくものや気になるものを次々に手に取るようになってしまう。

そしてデザイン系の本を見ていたのがいつの間にか美術から伝統工芸に移り、あるときは仏像の成り立ちや宗教的意味合いについての本を手に取っていたりする。日によって、それが料理の本だったりする。
またある日はタイポグラフィの書籍を探していて、気づいたら和装の写真集を見ていたりすることがあり、本来は仕事で必要な資料を買いに来たのに、いつのまにか趣味なのか仕事なのか分からないものまで買っていることがある。(でもこれが後に役に立ったりもすることが多いのである!)

僕はこの流れを「本屋さんで迷子になる」と思っていて、それも実は楽しんでいます。

ひとつの本を手にとって、そのなかのタイトルや文章からまた次の、全く別の興味へと繋がり、それが繰り返されることで最後には全く違うものへたどり着く。言葉で引っかかり、意味が気になり、ビジュアルに惹かれる。その繰り返しと反復。とても無駄で、意味のない回り道をしているようだけれど、僕はこの「迷子」になる「寄り道」が大好きだし、デザイナーにとって、とても大切な気がしています。



ひとは経験したことがないものは想像できない

人間は自分で見たり聞いたり経験したこと、時には人から聞いたり、人がやっていることを見たりしたことしでか「想像」できないと思います。全く知らないこと、見たこともないものは描けないのだから。麒麟鳳凰、仏像なども最初にあれを描いた人のものを見て、それを伝えているだけの気がします。だから最初にあの意匠、デザインを作った人は、実際に見たか、爆発的なクリエイティブの持ち主だと思います。もし実際に見たということなら、麒麟鳳凰も実在することになるんだけど。

ま、本を探すことに近いのが、意味を調べる=辞書を引くことだと思う。ここでも「辞書の迷子」になるんだけれど、これは多くの人が経験していると思う。例えば、国語の宿題で意味を調べてる時に、全く関係のないエッチな言葉の意味を調べてみたり、横の単語が気になって辞書から百科事典に移行して調べてしまったり。



興味と好奇心の連鎖がデザインを生む

そうして最初は強制されたものであっても、そこから次の興味や好奇心に繋がり、それをどんどん広げて、終わりがない知識欲みたいなものに身を任せる「知識の迷子」というのが、ものを作ったり考えたりする人間には大切で訓練にもなると思っています。最短最速で答えにたどり着くネット検索も良いんだけれど、大きく遠回りしながら余計なものを身につけることもデザイナーには良いことなのかなぁと思います。デザインの知識や技術だけでなく、どれだけ「その他のもの(余計なもの)」を知っているか、どれだけ経験したことがあるか、その経験した人や考えや技術に共鳴できるかということが大切なデザインの厚みになるような気がします。ひとつひとつの仕事=案件をデザインする際にそのことについて勉強するのは当たり前だけど、長い間に溜め込んだ「一見余計で役立たないような知識」が、何かの切っ掛けでスパークするように一気につながって意味を成すことが良くあるのです。本当に。これは、人と人のつながりにも言えることなんだけれど、これって京都だけなのかな?


ということで、
さて、これからはどこで迷子になろうか。



最後に。

僕は独立した時に、本だけは自由に買えるようになりたいと思ってました。それが高価な本であろうと、僕のデザインや自分のために役立つと思ったら躊躇わずに買えるだけの仕事をしようと決めていました。今のところ、それだけは守れています。

そして、京都にはジュンク堂書店以外にも素敵な本屋さんがたくさんあります。
僕が迷子になってしまう魅力的な文房具屋さんもあります。

できれば、京都に「伊東屋」さんが出店してくれないかなぁ。