デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

ジュンク堂書店京都店がなくなると、迷子になれなくなる話

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ジュンク堂書店 京都店が2月29日で閉店するとのこと


 

本屋さん、それも結構大きな書店が無くなるということで、ちょっとショックを受けました。本は、本当に売れなくなってしまったのか、それともAmazonなどのネットでは売れているのか… などと知りたいことや疑問はたくさんあるけれど、その対策なんかを考えるのは専門家に任せよう。

僕が小さな頃は、それぞれの町に小さな本屋さんがあった。おじいさんが独りで店番していて、天井から床まで全部本棚で、お客さんが店内ですれ違うのも難しいくらいに通路が狭くてびっしり本が並んでいる感じ。店頭には週刊誌が平積みされてて、ジャンプやコロコロコミックなんかがあって、年末にはドラえもんカレンダーが吊ってあったりして、いろんな雑誌と混ざってちょっとエッチな写真誌があったり、奥の一角には黒い背表紙のフランス書院文庫なんかが、人目を憚るように置いてあったり…。おそらく小学校の校区毎に本屋さんはあって教科書の販売などもしていていたと思う。その指定書店以外にも昭和の頃は「町の本屋さん」がたくさんあった。そして、町の本屋さんには色というか癖というか、店主の好みというか、なんとなく置いてる本の種類やジャンルがあって、それが町の本屋さんの個性になっていた。

ある店はビジネス書が豊富だったり、またある店は参考書や辞書が揃ってたり、また違う店は料理やペットや手芸や登山など趣味関連の本が充実してたりと、一軒一軒同じように見えて、実はかなり品揃えが違っているのが僕の知る「町の本屋さん」だった。今では少数派になってしまったけれど。いや、まだそういう「町の本屋さん」はあるのだろうかと記憶をたどると、実家の近くに子供の頃よく通った本屋さんが残っていた。
今やお店の半分をレンタル着物店にし、残りの書店スペースも大半が漫画、あとは申し訳程度の雑誌と実用書があり、店舗の大半がカードゲームの陳列スペースとなっている。もはや書店なのかゲームショップなのか微妙な感じで、雑誌の品揃えも近くのコンビニの方が多いくらいではないだろうか。子供の頃は、大きな町(京都なので四条とか)へと行けないため、学校の図書室を除いては小さな町のその本屋さんが書籍に触れる貴重な場所のひとつだった。辞書や参考書を探し、週刊誌や漫画はすべてその本屋さんで買い、夏休みの宿題の夏目漱石太宰治など文学や石川啄木宮沢賢治などの詩集もその本屋さんで買ったと記憶している。

そんな町の本屋が消えてしまって久しい気がするけれど、それで今困っているかと言えば特に困ることはない。残念なだけである。僕がもっともっと町の本屋さんで本を買っていれば、そういう色のある本屋さんらしい本屋さんが今も町のあちこちにあったかも知れない。


とは言え、本屋さんが無くなることで文化が廃れるとか、若者は本を読まないとか、そんなことを言うつもりはまったくなくて、本屋さんが無くなると僕の楽しみである「迷子になる」場所が減るのがちょっと残念だったりするだけである。



本屋さんで「迷子になる」

本屋さんで「迷子になる」とはどういうことか、共感されるかどうかは分からないけど書いてみます。

例えばある日、僕が欲しいまたは読みたいと思った「目的の本」が明確にあって、まずは本屋さんに行く… ということは最近はあまりない。明確に本のタイトルや著者、出版社などが分かっていて、その本が必要である場合はAmazonで発注してしまうから。どちらかと言うと、そのAmazonで買った本が面白かったりして、その著者の別の作品が読みたくなった場合に書店へ足を運ぶということが多い。また、なんの用事もないのに本屋さんの前を通ってしまい、とりあえず中に入ってしまった場合など、先程の「迷子になる」現象が起きてしまう。こっちの方が確率は高い。

京都のジュンク堂書店の場合だと、まずは店頭に平積みされた書店のおすすめ・売れ筋作品から目を通し、雑誌コーナーを一巡り、新書コーナーと流れて、美術デザインのフロアへ行って、写真集やデザイン書などでタイトルを横目に見るともなく見ながらウロウロする。良い本(僕のなかで相性の良いもの)はオーラが出てて「手に取れ〜!読んでくれ〜!」という声が聞こえる(ような気がする)。その声に従って、おもむろに手にとってパラパラと数ページを見る。で、一冊の本を購入しようと決定すると、自分の中のハードルが一気に下るのか、それとも本に対する物欲センサーのリミッターが外れるのか、目につくものや気になるものを次々に手に取るようになってしまう。

そしてデザイン系の本を見ていたのがいつの間にか美術から伝統工芸に移り、あるときは仏像の成り立ちや宗教的意味合いについての本を手に取っていたりする。日によって、それが料理の本だったりする。
またある日はタイポグラフィの書籍を探していて、気づいたら和装の写真集を見ていたりすることがあり、本来は仕事で必要な資料を買いに来たのに、いつのまにか趣味なのか仕事なのか分からないものまで買っていることがある。(でもこれが後に役に立ったりもすることが多いのである!)

僕はこの流れを「本屋さんで迷子になる」と思っていて、それも実は楽しんでいます。

ひとつの本を手にとって、そのなかのタイトルや文章からまた次の、全く別の興味へと繋がり、それが繰り返されることで最後には全く違うものへたどり着く。言葉で引っかかり、意味が気になり、ビジュアルに惹かれる。その繰り返しと反復。とても無駄で、意味のない回り道をしているようだけれど、僕はこの「迷子」になる「寄り道」が大好きだし、デザイナーにとって、とても大切な気がしています。



ひとは経験したことがないものは想像できない

人間は自分で見たり聞いたり経験したこと、時には人から聞いたり、人がやっていることを見たりしたことしでか「想像」できないと思います。全く知らないこと、見たこともないものは描けないのだから。麒麟鳳凰、仏像なども最初にあれを描いた人のものを見て、それを伝えているだけの気がします。だから最初にあの意匠、デザインを作った人は、実際に見たか、爆発的なクリエイティブの持ち主だと思います。もし実際に見たということなら、麒麟鳳凰も実在することになるんだけど。

ま、本を探すことに近いのが、意味を調べる=辞書を引くことだと思う。ここでも「辞書の迷子」になるんだけれど、これは多くの人が経験していると思う。例えば、国語の宿題で意味を調べてる時に、全く関係のないエッチな言葉の意味を調べてみたり、横の単語が気になって辞書から百科事典に移行して調べてしまったり。



興味と好奇心の連鎖がデザインを生む

そうして最初は強制されたものであっても、そこから次の興味や好奇心に繋がり、それをどんどん広げて、終わりがない知識欲みたいなものに身を任せる「知識の迷子」というのが、ものを作ったり考えたりする人間には大切で訓練にもなると思っています。最短最速で答えにたどり着くネット検索も良いんだけれど、大きく遠回りしながら余計なものを身につけることもデザイナーには良いことなのかなぁと思います。デザインの知識や技術だけでなく、どれだけ「その他のもの(余計なもの)」を知っているか、どれだけ経験したことがあるか、その経験した人や考えや技術に共鳴できるかということが大切なデザインの厚みになるような気がします。ひとつひとつの仕事=案件をデザインする際にそのことについて勉強するのは当たり前だけど、長い間に溜め込んだ「一見余計で役立たないような知識」が、何かの切っ掛けでスパークするように一気につながって意味を成すことが良くあるのです。本当に。これは、人と人のつながりにも言えることなんだけれど、これって京都だけなのかな?


ということで、
さて、これからはどこで迷子になろうか。



最後に。

僕は独立した時に、本だけは自由に買えるようになりたいと思ってました。それが高価な本であろうと、僕のデザインや自分のために役立つと思ったら躊躇わずに買えるだけの仕事をしようと決めていました。今のところ、それだけは守れています。

そして、京都にはジュンク堂書店以外にも素敵な本屋さんがたくさんあります。
僕が迷子になってしまう魅力的な文房具屋さんもあります。

できれば、京都に「伊東屋」さんが出店してくれないかなぁ。

京都市長選挙から、選挙の仕方について考えてみた

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2020年1月19日 京都市長選挙が告示された


京都市長候補は3名


京都市長選挙が1月19日告示、2月2日投開票ということで始まった。
2週間の選挙戦。

今回の候補は3名

門川大作氏(かどかわ・だいさく 69歳):現職、公明、自民府連、立憲民主府連、国民民主府連、社民府連推薦

●福山和人氏(ふくやま・かずひと 58歳):弁護士、共産、れいわ新選組推薦

●村山祥栄氏(むらやま・しょうえい 41歳):市議会議員

いずれも「無所属」となっているけれど、門川さんと福山さんは既存政党の推薦は受けてるし、当選後も何らかの党と協力関係になるはずなのに無所属って意味がわからない。また村山さんは京都党の代表を辞任して離党したということらしい。京都のための政治をすると言い続けてきた人だけに、その離党にどのような意味と覚悟があるのかわからないんだけれど。
まあ、市民に対して「どこかの政党のための政治はしません」というイメージ持たせたいとうことなのだろうか。

各候補の掲げる政策や主張については、それぞれのWEBサイトなどをご覧ください。

門川大作オフィシャルサイト
http://www.kyoto-daisakusen.jp/
門川大作 Twitter
https://twitter.com/miraikyoto2020

福山和人オフィシャルサイト
http://www.fukuyamakazuhito.jp/
福山和人 Twitter
https://twitter.com/kaz_fukuyama

村山祥栄フィシャルサイト
https://xn--n8jdg2dtn022v15p.com/
村山祥栄 Twitter
https://twitter.com/sho9722483



盛り上がらない京都

で、今回の京都市長選挙は重要な選挙ではあるんだけれど、京都は選挙が盛り上がらない。京都に生まれ育ち、選挙権を得てから30年以上経つけれど、盛り上がった試しがない。ま、何をもって盛り上がってると言うのかは疑問だけれど、京都は割と大きなイベントでもそれを市民が知らない内に終わってるみたいなことがよくある。行政の告知が内向き(市民へ向けたもの)ではなくて、市外(東京方面など他府県)に向けて展開されているからではなかろうか。

門川さんの4選目となるのか、それとも新人が勝つのかという見方をすると面白くはあるけれど、今日は京都市長選挙の話ではなく、「選挙制度」のお話。

告示から投票までは、2週間。この間に候補は事務所を拠点にスタッフと共に車に乗って選挙区内を縦横無尽に移動し、声を枯らして政策などを訴え、そして手が擦り切れるほど人々と握手して回る。うぐいす嬢の「京都市長候補◯◯でございます。◯◯が京都を変える、明るい京都市政を◯◯が実現します。」などと、まずは名前を覚えてもらうために比較的指名を連呼する形がメインとなる。
ひと昔前に比べると、演説会を開催したり、WEBサイトでしっかりと政策を伝えたり、Twitterでつぶやいたり、今どこで演説しているかなどリアルタイムで見えるようになった。

とは思うけれど、選挙の度に思うことがあって、もしそれを実現してくれる政治家がいるのなら応援したい。



選挙の仕方が時代とズレてる

候補者は、選挙管理委員会や法律の定める範囲で選挙戦を戦っていると思うので、やはり選挙制度を改革して欲しい。これは京都市だけの話ではなく、国会議員も含めてすべての「選挙のやり方」を見直し、変えていただきたいなと。

現在の選挙は、各候補のオフィシャルサイトや個人アカウントのTwitterなどを僕たちが自らが追ったり、遊説を見に行ったり、テレビなどのメディアなど注意深く見たり読んだりしないと候補者の考えや人となり、政策などはっきりと理解できない。かなり強い意志と好奇心、探究心、政治への関心がないとそんなことは中々できない。
なので、未だに選挙ではアホみたいに候補者の名前を連呼するだけか、キャッチーな言葉と名前を訴えるだけの選挙戦となっている。あとはイメージづくり。

ほとんどの人がたった2週間の、ほんの少しの時間、どの候補に投票すべきかを決定するために、たまたま手にとった新聞などの記事で決めている気がする。

今やテレビやラジオを見聞きし、新聞を読むのは年齢の高い人で、その年代の人の数が圧倒的に多いとは言え、視聴率や購読者数などは年々減少しているので、有効かどうか甚だ怪しい。新聞に広告を掲載しても、その地域で購読してる人の数は大凡分かるけれど、本当に読んだかどうか、その広告を見たかどうかなどはまったく分からないのである。よく今までそれで成り立ってきたなと、永年広告の世界で仕事をしてても思うけれど。



選挙制度(投票のための仕組み)は、こんなのが良い

1)選挙管理委員会は、すべての立候補者の情報を均等に偏りなく特設サイトに公開する
2)氏名、経歴、所属政党、後援組織、掲げる具体的な政策を掲載する
3)各候補のオフィシャルサイト、SNSアカウントなどもリンクする
4)選挙期間中、候補者が訴えたいことがあればリアルタイムで更新可能なページも設置する
5)PC、スマートフォンなどツールを限らず、誰でも閲覧できるものとする

上記のようなWEBサイトが選挙管理委員会の管理の元で公開すれば、そのサイトさえウォッチすれば誰でも公平に選挙で投票するための情報を等しく得ることができると思う。

その上で、

6)投票はネットからでもできるようにする
7)投票結果(集計)はリアルタイムでネット公開する



ものすごいお金を掛けて構築した「マイナンバー制度」をここでぜひ生かして欲しい。ネットからログインしてマイナンバーを入力して、そのまま投票できることになれば、投票率も爆上がり。セキュリティの問題は若干あるけれど、投票率が上がるというだけで政治家は根底から普段の活動の仕方、考え方など見直さないといけなくなるし、政治団体・政党も意味合いと役割が変わってくる。地方組織も変わるはずだし、何よりもなんの縁故も利権も金も持たない人でも立候補が可能になる。今よりも遥かに。

ついでに、北欧のように自宅のPCから住民票や戸籍謄本などの「判子を持って役所へ行かなければならない書類関係」をすべて自宅で入手、プリントアウトできるようになればかなり無駄が省けるし、他府県への転入や転出、婚姻届なども電子化して自宅にいながらネットで終わらせることができれば仕事の合間にでも可能になる。

少子化対策も同じなんだけれど、物事の本質を見ずにやるべきことをどっかに置いといて、何やら変なところに話が持っていかれることにとてもストレスを感じる。仕事でもそんなことあるよね〜。

と、こういう仕組みを考えることもデザインの一部だと思うので、政治の世界に飛び込んで改革するデザイナーが出ると良いなぁと思うのです。


さて、2週間後は誰が京都市長になってるんだろうか。
京都市が全国に先駆けて、ネット投票とかやってくれんかな。
新市長へプレゼンに行こうかな(笑

 

なにより、京都市民の皆さん。必ずこの京都市長選挙は投票してくださいね。前回の投票率は35%だったとか。しっかりと権利を行使しましょう。

 

 

世界の選挙制度

世界の選挙制度

今さら聞けない!政治のキホンが2時間で全部頭に入る

今さら聞けない!政治のキホンが2時間で全部頭に入る

撮影(現場)が好き


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スタジオ、ロケ問わずに撮影が好きなのは、限られた時間と条件のなか、状況変化やアクシデントなど(起きないな越したことはないけど)リアルタイムで最適解を出し、決断をしていくところ。

 

そして、頭で想像して描いたサムネイルやラフを実現するためにアイデアを提案してくれるカメラマンや現場のスタッフとのセッションのような会話、仕事の進行、空気。失敗の許されない緊張感と、どこか遊びのような楽しさ。豊富な経験だけに頼らない柔軟な発想。

 

僕が想定していたものより、数段良く仕上がるビジュアルは、ディレクターとしてほくそ笑む瞬間でもある。自分の限界を超えた満足感と、スタッフの能力を引き出せたような快感。

 

だから、どこかの誰かが作ったビジュアルを張り込んだカンプはできるだけ作らない。手描きのサムネイルかラフで提案する。必要があれば何度でもその場で描き直す。デザインは状況で常に変化する。しかし、普遍的で決して変えてはならないこともあるんだよね。

悩んだ末のXPERIA 5

XPERIA5

XPERIA5(SO-01M) Blue


ということで、機種変。

今回は、Google Pixel 4にしようと決めていたにも関わらず、僕の大嫌いな税金を収めないソフトバンク独占販売ということなので、iPhoneに気持ちが傾いたけれど、やっぱり日本が誇るSONY!“XPERIA5”に。 

ま、iPhoneの日本での販売が最初はソフトバンクということで、今まで使わなかったんだけど(笑)

iPhone11 PRO MAXのカメラ性能にもかなり惹かれたんだけど、よーく調べるとXPERIAも遜色ない、てか色味をデフォルメしてないのが玄人好みで僕は好き。

そして、スリムなボディサイズは一度持つと「これ以外ないでしょ」ってくらい手にジャストフィット!大画面なのに女子でも持ちやすい。そして、超広角が断然楽しい!三眼レンズも、iPhoneボトムズのような賛否というか好き嫌いが分かれるデザインよりはスマートだと思うし、エッジのRも含めて全体的に美しい仕上がりではなかろうか。(実機のブルーを見て即決したん)

でもボディを薄く軽くするためにカメラレンズを外に押し出すのなら、逆にボディの厚みを増してその分バッテリーを大きくすれば良いのでは?とも思う。

初代XPERIAから使ってる僕としては、過去最高レベルの出来のような気がする。バッテリーの持ちは相変わらず悪いけど。

とりあえず、新しくなったので嬉しくて投稿してみました。

XPERIA5

三眼カメラレンズ(標準・望遠・超広角)



 

真夜中の事務所でやること


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夜中にふと、自分で完成させたはずのデザインを見直してしまう時がある。
我ながら良くできたと思う時ほど、何度も見直ししまう。


そして、ふと本棚に目が止まる。

本と目が合うと言うのも変な表現だけれど、そんなことがある。「私を見て」と呼ばれたような気がするんだけれど、そんなときは、開いた本によって今悩んでいることや解決すべきことや、煮詰まったアイデアの答えが書かれていたりする不思議。偶然なのか、神様が教えてくれたのか。


と言うことで、今夜は“RICHARD AVEDON”。
フリーランスになったときに、一冊は欲しいと思った写真家のひとり。

 

#design #avedon #photograph #books

 

Richard Avedon: Photographs 1946-2004

Richard Avedon: Photographs 1946-2004

 
Richard Avedon: Portraits of Power

Richard Avedon: Portraits of Power