デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

水に流せない話

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毎日の生活の中で、小さく「イラっ」とすることがあります。この小さなストレスの積み重ねが無かったら、人間はかなり長生きするんじゃないだろうかなどと本気で考えたりする今日此の頃です。


たとえば、毎日使うトイレ。

男性の場合、的を外して汚してしまうことがあります。できる限り真っ直ぐに狙いを定めているつもりでも、その日のコンディションで外れたり、急にくしゃみが出たりして大幅にOBしてしまうこともあります。それは仕方のないことだと分かっています。仕方ないとして許す広い心を持ちましょう。少なくとも僕はそう考えるようにしています。やってしまったことは仕方ない。。

しかし、多くの人が外したままで何の処理もせずに立ち去っている現実。一定時間ごとに掃除をするプロがいるビルやホテルなどにおいてでも、やはり汚れたままは気になりますし、酷いと不快な気分になります。たまに「どうやったらこんなに水浸し状態にできるのか?」と感動すら覚えるほどの的外しに出会うこともあります。

破れ窓理論」ではありませんが、少しくらい良いじゃないかと放置する人が居るとと、次から次に広がって最後には入るのすら躊躇するような場所になってしまいます。

自分の家ならだれも放置しないはずなのに、外だと急にどうでもよくなるのでしょうか。自分が不快なことは他の人も不快であると感じないのでしょうか。自分が犯したミスは償えば済むこと(本テーマの場合)だと思いますし、手の汚れなんかは石鹸で洗えば綺麗になります。なぜその簡単なことが分からずに実行できないのかが、僕には分からなかったりします。。


というようなことを、しかもトイレの汚れの話をこんなにグダグダと主張すること自体もどうかしてるとは思いますが、事務所やよく知るお店のトイレがそういう状況だと軽く怒りを覚えることがあります。


で、このことはデザインでも少し通じることがあるように思うのです。


それは「想像すること」。

自分がしたいデザインではなく、誰がこれを見るのか、どう使われるのか、またその時の気持はどうなんだろうと、相手(クライアントや消費者など)のことを考えたり、また何かを発注(お願い)するときなども、より分かりやすく相手の身になって考えれば、事故やトラブルの起きる確率は減るはずですし、余計なことに悩まなくて良い分、いい仕事をしてくれるに違いないと思うのです。

やはり「創造は想像」から。

玄関で靴を脱いだら、自分のものじゃなくても揃えてあげた方が気持ちいいと思います。たとえそのことに誰も気づかなかったとしても、そういう小さなことにもサッと気づく心の余裕が欲しいといつも思います。

(トイレの汚れで散々怒っておきながら、というツッコミは無しでお願いしますw)

 

トイレクイックル 容器 10枚入

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広告業界が寒いんじゃないのか?という話

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すっかり秋というか、冬の匂いがする今日此の頃。

京都は紅葉シーズンということで国内・海外からの観光客でどこもいっぱい。京都に生まれ育った者としては、嬉しいようなそうでないような微妙な気持ちです。たくさんの方々が京都を訪れ、京都や日本の伝統や文化に触れてくださることは嬉しいことですが、毎日生活している身になると喜んでばかりもいられないことがあります。特に博物館や美術館は長蛇の列で、ゆっくり鑑賞できない状態です。。やっぱりなんでもそうですが、「適度に暇な感じ」が京都らしいという気がします。

さて秋も深まり「つるべ落とし」と言われるほどに、気がついたらあっという間に夜になっている。。そんなこんなで冬を感じる訳ですが、気温もめっきり冷え込み、朝晩はストーブを点けようかと思うほど寒くなってきました。

ということで、寒いといえばグラフィックデザイン界。例の東京オリンピック・エンブレムの件があってから、「これはパクってない?」などと事あるごとに挨拶のように言われたり、「結局あれはどうなのよ?」「広告業界もアレだね」などと、まるで僕がオリンピック組織委員会やエンブレム選考委員会の中枢に居た人間かのように質問されることも多々あります。(最近随分減りましたが...)そして、僕はまるで選考の過程を見たか、自分で行ったかのごとく説明したり...  できる訳もなく、デザイナーのひとりとして思うところを述べたりすることがあります。でも実際今どうなってるのか、あれは何だったのか分からなくて、僕自身モヤモヤしています。薄々想像はつくような気がしないでもないですが、だれか真相を教えてくださいw

と思っていたら、選考委員のひとりだった平野敬子さんがオフィシャル・ブログで考えを綴っておられます。ご本人も様々な葛藤の中、デザイナーとして、また多くのデザイナーや有識者の中から選考委員として選ばれた人間として、できる限り公正かつ感情に左右されないようにと「記録」として書かれています。
僕もデザイナーとして、その対応や考えには非常に共感できます。現在、001〜012まで綴られているのですが、一気に読み進めてしまいました。今後続いていくのか、またどうなるのか、何か真相のようなものが明らかにされるのかなど興味深く見ていきたいと思っています。


デザイナーとして駆け出しの若いころ、賞を取ることを目指して仕事(業務)でも個人でも、それこそ寝る間を惜しんで応募していたころを思い出しましたが、ある時点から国内の広告賞やデザインコンペのあり方などに疑問を持ち、一切のそういうことから離れました。そのため、個人事務所を始めた時も協会などには一切入りませんでした。今思えば若かったのですが、その代わりに地に足の着いた仕事ができたように思います。パッケージひとつデザインして数千万円という、眩しいような仕事の依頼は絶対に来ませんが(笑

 

真相 (双葉文庫)

真相 (双葉文庫)

 

 

発売日に“XPERIA Z5”に機種変して、少し使ってみた感想(Z1との比較あり)

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昨日(2015年10月29日)、SONY XPERIA Z5〈SO-01H〉が発売日ということで早速機種変更してきました。docomo 京都四条通店では一番とのことで、それを告げられた時は「いちびってる」ようでちょっと恥ずかしい気分になりましたw(笑

これまでスマフォは以下の様な感じで、林檎くんちのiPhoneは一度も使ったことがありません。当初はdocomoから発売されなかったということで、Androidしか選択肢がなかったというのがその理由ですが、今となっては多数派のiPhoneにするつもりは、もはやありません。天邪鬼なのでw

 

・初代
Xperia SO-01Bソニー・エリクソン・モバイルコミュニケーションズ) 2009年
Android OS1.6

・二代目
Galaxy Nexus CS-04DサムスンGoogle) 2011年
Android OS4.0 Ice Cream Sandwich

・三代目
Xperia Z1 SO-01Fソニーモバイルコミュニケーションズ) 2013年
Android OS4.2

そして四代目として、XPERIA Z5に。
Z1からZ5まで、たった2年です。ソニーさん、製品投入のペース早すぎですよ。。



ファーストインプレッション・とりあえずの感想

ということで...
これから色々と試してみますが、 まず気付いたことは以下の通りです。

1)Z1に比べて、軽い。
2)Z1よりも若干スリムになったためか、持ちやすい。
3)Z1に比べて、画面がクリアかつシャープになっている。
4)Z1に比べて、カメラの起動が速い。そして、階調が豊かになった気がします。
5)キャップレス防水機能のおかげで、下部のマイクロUSB端子から保護ケースをつけたままで充電が可能に。

僕としては、2と5が特に有り難いです。Z1はキャップの開閉を繰り返したことによって、機種変更する直前にはキッチリと閉まらない状態になっていました。。

Z5:高さ約146mm ✕ 幅約72mm ✕ 厚さ約7.3mm・約154g
Z1:高さ約144mm ✕ 幅約74mm ✕ 厚さ約8.5mm・約171g

幅約2mm、厚さ約12mm、重さ17gと、スペックを見る限りでは僅かな差なのですが、実際にはかなり軽く、持ちやすくなったように感じます。厚みの違いが大きいのかも知れませんね。それぞれのスペック表は下記に貼っておきます。

Z5 スペック表
Z1 スペック表


今回はブラックを選んだのですが、黒というよりは上品なグレーという感じです。docomoのロゴも控えめで良いと思います。サイドのロゴの入り方も綺麗ですし、コーナーの処理や質感もいい感じです。

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デザイン的には、シンプルで無駄がなくて好きです。そしてキレイだと思います。SIMを刺すところ意外に開閉する部分がないことなど、やはり機能とデザインは直結するんだということを改めて感じます。機能・使用方法・想定する状況など様々な要素によってデザインは決定されるのか、また逆にデザインがそれらを決定するのかなど考えてしまいます。



パッケージちっさ!

そして今回受け取りに行った時に驚いたのは、商品パッケージの小ささでした。MacBookAirを買った時も、昔に比べると随分パッケージが小さくなったと思いましたが、今回はかなりコンパクト。もう商品本体とほぼ同じ。

ヘッドフォンや充電器などの付属品が一切ついていないので、Z5本体と保証書、説明書、TV用のモバキャスアンテナケーブルだけが入っているので納得なのですが、この価格(本体91,400円)ならヘッドフォンくらいついてても良いんじゃないかと思いました。だって、MacBookAirよりも高いんですよ!

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厚みはありますが、外形寸法はほぼ商品本体と同じくらい。パッケージは極普通の紙製なので、輸送時の衝撃など大丈夫なのだろうかと余計なことを考えてしまいます(笑



カメラの感じや性能、その他詳しいレビューなど、後日アップするかも知れません。あまり期待はしないでくださいw

ということで、また。

 


Androidの泣き所は、ケースの選択肢が少ないというところです。
三代目の時から愛用しているELECOMのこのケース、ほんとに頑丈です。ちょっとゴツくなっちゃいますが、保護性能は抜群だと思います。これに画面部分に強化ガラスフィルムを貼れば完璧です。Z5を検討されている方は、ご参考までに。

 

 

 

京都の街は、時代祭でまさにバック・トゥ・ザ・フューチャー!

昨日は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー 2」の中で主人公たちが30年前の過去から未来にやって来たその日(2015年10月21日)ということで、ネット上でも盛り上がっていました。30年前といえば僕はまだ17歳の高校2年生で、ドキドキしながら友達と見たのを今でも覚えています。因みに、パート1では30年前の世界にタイムスリップします。

そして、今日は京都の三大祭のひとつ「時代祭」が今日開催されています。(現在進行形、まさにバック・トゥ・ザ・フューチャー!)

残念なことに僕は今年も時代祭を見ることなく、こんなところでブログを書いてたりします。。京都に生まれ育って約半世紀になりますが、一度も見たことも参加したこともありません(笑

ということで、ちょっと気になったので調べてみました。


時代祭とは

時代祭葵祭祇園祭とともに京都三大祭の一つとして知られ、国内はもとより海外からの参観者も多く、 沿道には豊かな国際色が見受けられます。山国隊の奏する笛、太鼓の音色を先頭に約2,000名・約2キロにわたる 行列は順次、平安京の造営された延暦時代にさかのぼり、私どもの心に過ぎ去った京都の歴史をしのばせます。 それは日本の歴史の縮図とも言えます。」(公益社団法人京都市観光協会時代祭サイトより.)

という何とも豪華絢爛なお祭のようです。知り合いや友人が時代祭の行列に参加(仮装)しているのをFacebookなどで見ると、ちょっと参加してみたい気もします。


祭としては、まだ120年

明治28年(1895)に平安遷都から1,100年目を記念して、桓武天皇祭神として平安神宮が造営され、記念祭として時代祭が始まったとのことです。同じ京都三大祭祇園祭は、貞観年間に始まったとされるのですでに1,100年以上続いていることになり、時代祭は歴史で言うとかなり新しいお祭りということになります。
10月15日の参役宜状授与祭、21日の前日祭、22日の神幸祭、行在所祭、還幸祭、23日の後日祭で構成されていますが、やはりメインのお祭は22日の時代風俗行列。

う〜む。「時代風俗行列」って言うんですね。「風俗」って今やいかがわしい印象がある言葉になっていますが、本来の意味は「ある地域や階層に見られる日常生活のしきたり、習わし、風習のこと」とあります。僕は風俗っていうと懐かしい田舎の風景など思い浮かべるんですが、今や「風俗」でググると「風俗店」「デリヘル」などが検索トップに引っ掛かってきます(笑

ちょっと逸れましたね。。

いずれにしても、今日開催の「時代祭」も祇園祭同様に1,000年続く祭になって欲しいと思います。


鞍馬の火祭も今日開催

今日10月22日は時代祭だけでなく、「鞍馬の火祭」も開催されます。こちらも僕はまだ生で見たことはありません。で、ちょっとググッてみました(笑


鞍馬の火祭(くらまのひまつり)は、京都府京都市左京区鞍馬にある由岐神社例祭の一つ。京都三大奇祭の一つに数えられる。集落各所に焚かれたかがり火の中を、氏子が松明を持って練り歩いて神社山門を目指す。」(ウィキペディアより)

由岐神社(ゆきじんじゃ)は、京都市左京区鞍馬本町にある神社である。鞍馬寺の鎮守社である。通称靫明神(ゆきみょうじん)。大己貴命少彦名命主祭神として「由岐大明神」と総称し、八所大明神を相殿に祀る。」(ウィキペディアより)


ということで「鞍馬の火祭」は、天慶3年(940年)から始まったとされる、千年以上続く歴史あるお祭りです。なんか単位が百年とか千年とか流石に京都って感じですね〜。そして、僕のクライアントや友人知人にも長年続くお店の当主が多いのですが、皆100年以上続く老舗ばかりです。京都で百年というと「まだ若い」と言われるとか言われないとか(笑

と、ブログをのんびり書いている内に、時代祭の風俗行列は平安神宮へ戻り、これから(15時〜)還幸祭が行われるようです。


僕はこれからも京都に住み続ける予定ですので、いつかじっくりと京都三大祭を見るか参加してみたいものだと思っています。でも、人の多いところが苦手なので行かない確率が高いですが、真夏の祇園祭よりも秋の時代祭の方が良いかも知れませんねw

 

 

 

 

たくさんの人が幸せになるようなデザイン 〜ただパクるだけでは何も解決しない〜

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東京オリンピックのエンブレム問題以降、なんだかモヤモヤする事が多い今日此の頃です。

僕も四半世紀以上プロのグラフィックデザイナーとして仕事をしてきているので、佐野氏の件については色々と考えることがありましたし、各方面から「あれはどうなの?」とよく聞かれもしました。

東京五輪のエンブレム(なぜシンボルマークや大会ロゴマークなどと呼ばずに「エンブレム」なのかも気になって仕方ないことのひとつですが...)については、関係者の方々とお会いしたこともないし、状況など分からないので個別には何も言わないことにします。でもなんだかデザイナーやデザインに対する世間の風当たりみたいなものが、少し変わってきたようには感じます。まぁ、元から優れた無名のデザイナーはたくさんいましたし、ちゃんとした仕事をやっているデザイナーがほとんどだと思います。ただ、いい加減なことをしていると言われても仕方ないような、そんな仕事をしているデザイナーがいることも確かです。

※ここではデザイナーとディレクターを同義としておきます。本来違うのですが、僕自身、ディレクターとデザイナーを兼務することが多いので、ディレクションも兼ねるデザイナーということで。



引き出しとフィルター

以前、「デザインのコツはパクること」という記事を書きました。これはパクることを推奨しているのでは勿論ありません。デザイナーはデザインする時、またアイデアを練る時に、色々なことを考えます。色んなものを見ます。聞きます。そして、それらをすべて情報としてインプットし、デザイナー個人の様々なフィルターを通してアウトプットする時、そこにオリジナリティや個性が生まれると思います。

gridgraphic.hatenablog.com


僕はデザイナーがそれぞれ持つ「フィルター」こそが大切だと思っています。デザイナーが経験したこと、体験したこと、感じたこと、見たこと、学んだこと... 自分が遭遇したあらゆる事象を記憶し、カテゴリ分けして、それぞれの「引き出し」に入れています。そしてアイデアの芽を見つけた時に、今現在の状況と、今まで蓄積した「引き出し」から、あらゆるものを総動員してアイデアの芽に肉付けし、あるいはそぎ落とし、デザインへと昇華させます。

「引き出し」の中身は、感覚・感情的なことだけでなく、蓄積された知識や、人との繋がりなどもすべて含まれます。



まるっとはパクれない

この世にデザインされていないものはないという位、今や世の中にデザインされたものが溢れています。それは、おしゃれなものだったり、可愛かったり、使いやすかったりするための機能を与えられたものです。デザインとは、単に装飾的なことを指すものではありません。

で、デザイナーが企画やアイデアを考える際、つい有名な写真やアート作品、優れたデザイン物などを模倣することがあります。僕も若い頃は有名デザイナーの仕事を見ては模倣して訓練していました。(あくまでも訓練ですよw)そして、そこには憧れと今の自分にはできない何かを感じて、その優れたデザインを目指していたのです。

仕事として依頼される案件には、必ず様々な条件や設定などの縛りがあります。アイデア段階で、過去の優れたデザイン物のようにしたいといくらデザイナーが希求したとしても、実はそれほどバッチリと嵌まることはないのです。そのデザインをまるまる持って来ても違和感どころか、「なんなのコレ?」ということになります。



物事の本質を見ているか?

模倣をするということはデザイナーにとっては良いことだと思います。優れたデザイナーの良い仕事(デザイナーの仕事を作品と呼ぶことには違和感を覚えます。これはまた別の機会にお話します)から学ぶことはとても多くありますし、知っておくべきことでもあります。

ただの模倣〜パクリにならないためには、完全なる模倣が必要です。「完全なる模倣」をするには、そのデザインをしたデザイナーやその仕事を依頼したクライアント、その時代の背景なども知る必要があります。しかし、デザイナーの心情や考え方、コンセプト、クライアントのオリエンテーションなど知ることは不可能ですが、時代背景とその商品情報は知ることが可能です。ここからは想像力と妄想力に頼るしかありませんが、出来る限りそのデザインが生まれた背景やコンセプトを、その出来上がったデザインから辿っていきます。

そうすると、見た目のデザインではなく、そのデザインの骨子が見えてきます。なぜそういうデザインになったのか、そのデザインにはどんな意味があるのかが分かるようになります。正確には、分かったような気がします。。この「分かったような」が大切で、見た目だけを完全に真似ることは簡単にできます。今やMacAdobeのソフトと少しのテクニックがあれば何とでもなります。要はデザインの核、考え方とそのデザインが求める方向性を知ること、本質がどこにあるのかをデザイナー自身が考えるということなのです。

僕は若いころ、他人の優れたデザインを「逆読みデザイン」して、コンセプトや企画書をまとめることを日課にしていました。その上で、もし自分ならどんなデザインをするのかを考え、新たなデザイン案をつくることをやっていました。

実はこれ、最初に務めた会社の上司から命令されたことの一つでしたが、あまりにも忙しい毎日でほとんどの新人がやらなかったことを、僕はコツコツとやっていたのでした。そのお陰で今やどんなデザインも見た瞬間に「こういうことをデザイナーは考えたに違いない」と思うようになりました。正解かどうかは分かりませんし、簡単にそう思うことはデザイナーに対して失礼なことだとうとは思いますが、もう癖になってしまてるのです。。お許しください(口に出したりしませんからw)



たくさんの人が幸せになるようなデザイン

デザインは、それを生み出すデザイナーが、何かしらのものから影響を受けたものが反映されていると思います。またくの「無から有を生み出す」ことなど、なかなかできることではありません。ただ、今日お話したようなデザインやものごとの本質を見極めて、さらに良くするための工夫と努力、多くの人が幸せになるような何かがあれば、単なるパクリにはならないように思います。



あ。トップの画像は、今話題のデザインのパロディです。
パクリではなく、パロディです。オマージュかも知れませんし、リスペクトかも知れません(笑

 

河北秀也のデザイン原論

河北秀也のデザイン原論