デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

あたりまえのことができますように。えべっさんにお願い

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今日は、1月10日。「えべっさん」と親しまれる十日ゑびすの大祭の日です。たくさんの人がお詣りし、笹に様々な飾りをつけて今年一年の商売繁盛を祈ります。「えべっさん」というと西宮神社の「開門神事福男選び」や今宮戎神社が有名ですが、京都でも京都ゑびす神社八坂神社の「祇園ゑびす」などたくさんあります。

そして神様と言うと、皆が平和で幸せに暮らせますようにと願いながら、自分の信じ崇拝するもの以外は異教徒と呼び、憎み、排除し、あげく殺戮するまでに及ぶことに昔から疑問に思い、違和感を感じています。なぜ平和と愛を説く宗教が人を殺すのかは、未だに理解できないことのひとつです。


僕は宗教観と言うものは持ち合わせないというか、はっきりと自覚していないのだけれど、単純に愛するひとは守りたいし、大切にしたい。そして僕を産んでくれた両親に感謝し、ご先祖様にも両手を合わせて拝むことだってあるし、近くの神社で神様にもお願い事をするし、心の底から祈ることもある。目に見えない神様を信じ、会ったこともない先祖を想い、お寺では神妙になり、この日本という国を大切に思うし、天皇陛下を心から敬う。そしてお米を食べる時には自然の恵みとお百姓さんの働きに感謝して、大きな山や深い海、野に咲く花を見ては畏敬の念をいだき、小さな石や樹木にも神を見い出して、そっと手を合わせたりする。

自分がされて嫌なことは人にはしたくないし、自分がされて嬉しいことは人にもしてあげたいし、人から後ろ指さされることはしたくないし、人から感謝されることをできるようになりたい。毎日が刺激的でありたいけれど、毎日が何も変わらず平穏に過ぎることをありがたく思い、また人の行いに腹を立てたりしながら、小さな親切には感謝したりする。

他人との違いを認めることや、人を許す心の大きさを持てるようになって、多くのものに、たくさんの人に、あらゆる出来事に感謝して過ごせれば、それが幸せだなんだろうと思う。人として至極当たり前のことを、自然体で当たり前のようにできるようでありたいと願っています。


ということで、僕にはとりあえずデザインしか得意と言えることがありません。僕のデザインでひとりでも多くの人が幸せになったり、笑顔になることを少しでもやっていきたいと思ったりする、今日はえべっさんの日。商売繁盛も、勿論したいですw


 ちなみに、僕は「シルクヱビス」が好きです。