デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

フリーランスと浪人。真田丸で考えたこと

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約三ヶ月ぶりの投稿になってしまいます。続けるということは大切だということを改めて感じる今日この頃、京都はめっきり寒くなってきました。

今日はいつもお世話になっている自宅近所の焼肉屋さんへ出来上がったメニューを納品しがてら、美味しい焼肉を堪能してきました。僕がデザインしたもので喜んでいただけるというのはとても嬉しいものです。そして、そお店に来られるたくさんのお客さんが僕のデザインしたメニューを手にして、それぞれの楽しい時間を過ごされるということを考えるとまた更に嬉しくなってしまいます。誰かの役に立つとか、必要とされるということを感じるのは幸せなことだと、この年齢になってようやく腑に落ちてきた気がします。

さて、ほろ酔い気分で自宅に戻り、日曜日の楽しみでもある「真田丸」の録画を見ていたところ、なるほどなぁと感じることがありました。

徳川家による大阪攻めが本格化するなか、大阪城へ集まる約10万人とも言われる浪人の代表格である五人衆(真田幸村後藤又兵衛毛利勝永明石全登長宗我部盛親)と豊臣家の重臣(豊臣秀頼大野治長木村重成織田有楽斎)での評定が繰り返されます。浪人のなかでは馬廻衆として豊臣秀吉に直接仕えていたことがあり、また淀君の信頼も厚い真田源二郎信繁(幸村)がその筆頭と目されていました。そんな最中、幸村が主張する「城外へ打って出る」策か「籠城」かで紛糾してしまう...

君主である豊臣秀頼の前で最終的な決済をする際(ここで色々とあるんですが)の織田有楽斎の言葉「金で雇われた浪人者は身の程を弁えよ」(台詞は正確ではないと思いますが、そういう主旨でした)がフリーランス=浪人的なイメージで合致しました。僕は依頼された案件に関して表層的な問題解決ではなく、もっと深く関わり、根源的な解決を図ることが依頼者のためでもあると思っていることもあり、依頼されたものをそのままデザインしない場合もあります。なので織田有楽斎の言葉のように、身の程を弁えよということに少し反応してしまいました。(大河ドラマ、いいじゃないか!)そこで連想したのはフリーランスのデザイナーって、豊臣家に売り込む浪人みたいなものじゃないかと。真田幸村と自分をダブらせて、ちょっと良いなぁという感じだったのかも知れませんが、それぞれの腕を誇りそれを高く評価してくれる人のために働く。。

豊臣家の重臣は浪人たちに対して「身の程を弁えよ」と言いましたが、これはただ傲慢な方言ではなく、果たす役割が違うということなのかと。(織田有楽斎はただの権威主義だったのかも知れませんが)重臣は浪人たちに命令し、物事を決定する代わりにその結果に対する責任を取る覚悟を持つと。そして、浪人たちは高い録を頂戴する代わりに自分の持てるすべてを差し出すことでその責を負うと。それは命を差し出す強い覚悟を要するものでもあります。命令する方も信頼するべき浪人たちが失敗すると、結果的には自分たちも滅んでしまいますから、この辺りの駆け引きというか信頼関係というのはとても微妙だろうし興味深いなぁと。ま、豊臣家は重臣たちが真田幸村を含む浪人を信頼しきれなかったことと、浪人たちすべてが命を差し出す覚悟がなかったことから最終的には歴史で知る結果になってしまうのですが。。

いずれにしても命を差し出すほどの覚悟とはどのようなものなのか、またそのような覚悟で日々仕事をしているのかと問われると、決してそうとは言えないなぁと。なんとなく自問自答しながら、織田有楽斎の台詞からこんなに考えてしまうのもどうかと思いつつ、さらに久しぶりにブログを書いてたりします。


それにしても、日本の家紋って素晴らしいデザインですね。そして、これからクライマックスへと向かう「真田丸」は楽しみですよね〜。
今日の放送で、僕の中では何となく陰湿なイメージだった「大野治長」をカッコいい!と思ってしまいましたw

では、また。

 

真田丸 完結編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

真田丸 完結編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)