デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

宇宙兄弟と続けること

f:id:gridGraphic:20140802125014j:plain



もっと続けていれば良かった。。


ということ、ありませんか?
僕も続けておけば良かった思うことがあります。

例えば、スポーツ。
野球だとして、以下の様な問があるとします。

「野球を一生続けることができるか?」


その答えは、ひとつではありません。
それは、現役の選手として続けることには限界があるけれども、何らかの形で野球に関わり続けることは可能だからです。現役を引退した後に指導者になる道や、解説者や審判、またひとりのファンとして野球をする人たちを応援するなど、そのカタチは様々だと思います。


「野球選手」にはいつか終わりがあるけれど、「野球人」には終わりがない。

同じように「デザイナー」には終わりがないけれど、「サラリーマン」には定年があり、退職がある。。



などとつらつらと考えながら、7月30日から京都文化博物館で開催中の『宇宙兄弟展』に行ってきました。


原画展と言っても良いくらいの展示内容。

JAXANASAのロケットや宇宙ステーションの模型など、かなり充実した内容だと思います。実は『宇宙兄弟』の熱心な読者とは言えないんだけれど、「宇宙」「兄弟」というキーワードがいつも気になっているテーマなのと、そのストーリーと作者の小山宙哉氏の絵が好きだったのです。

僕も幼い頃、弟と夕暮れの琵琶湖疎水でUFOを見たという経験があります。(これはまた機械があれば書いてみたいと思います)


で、原画やラフスケッチから放たれる、そのパワーに圧倒されました。
そして、単に絵が上手いとか精密とかだけじゃない、マンガ特有の抜かれた線に改めて感動しました。


手塚治虫氏や井上雄彦氏、宮﨑駿氏の絵も好きだし、これまで何度も感動してきたんだけど、今日の『宇宙兄弟』はグッと来ました。

マンガとしてのビジュアルの力(ちから)と絵に付けられた台詞。
多分、ビジュアル以上にその台詞、コピー、言葉に引き寄せられたんだと思います。




ということで、


描き続ける。

やり続ける。

考え続ける。

デザインし続ける。


事が大切なんだなぁと、改めて思ったのでした。




宇宙兄弟展』の会場内は、撮影自由なので嬉しさ倍増です。みなさん、思い思いにカメラで会場や作品を撮っておられました。そして、僕は名(迷)言Tシャツも買ってしまったのは内緒ですw

トップの写真は、壁一面に貼られた小山宙哉氏のラフスケッチです。


宇宙兄弟展〈京都会場〉

会  期:2014年7月30日(水)〜9月23日(火・祝)
会  場:京都文化博物館(京都市中京区三条高倉)
開館時間:午前10時〜午後6時
     ※金曜日は午後7時30分閉館 ※入場は終了時間の30分前まで
休 館 日:毎週月曜(ただし、9月15日、9月22日は開館)、9月16日

http://space-bros.com/

 

宇宙兄弟 コミック 1-23巻セット (モーニングKC)

宇宙兄弟 コミック 1-23巻セット (モーニングKC)

 

 

 

後の祭りと祇園祭

f:id:gridGraphic:20140715180920j:plain



京都の祇園祭もいよいよ佳境にはいり、今日は「後祭の山鉾巡航」。

「前祭」と「後祭」の二回に別けて行われる山鉾巡行が約50年振りに復活し、「後祭」にはこれも150年振りに復活した「大船鉾」が見られるとあって、かなりの賑のようです。

この祇園祭の「後祭」は、「後の祭り」という諺の語源となったと言われていますが、知らない人も多いのかな。。


【後の祭り】間に合わなかったり、手遅れであることの意味。


「前祭」は巡航する山鉾の数も多く、派手で見栄えがするのに対して、「後祭」は山鉾の数が少なくて寂しく、折角見に行ったのにしょうもない。。ということから「なんや後の祭りかいなぁ」となったようです。(諸説あるようですが...)


本来、祇園祭は7月1日から31日までの1ヶ月間行われる神事で、山鉾巡行はたくさんある行事の中のひとつでしかありません。祇園祭と言えば「山鉾巡行(7月17日・24日)」と思っている方も多いと思うますが、実はその山鉾巡行の後に行われる「神幸祭(7月17日)」「還幸祭(7月24日)」が主役なのです。

この神幸祭還幸祭は、三基のお神輿が八坂神社を出て京都市内を練り歩き、また八坂神社に戻るまでのロングスパンの行事なのです。祇園祭には、京都の雅やかなお祭りのイメージがありますが、実は男臭い、荒々しい神輿もちゃんとあるのです。これ、意外に知られてません。。

もうメインのお祭りである山鉾巡航、神幸祭還幸祭は終わってしまいましたが、来年はそこら辺を覚えておいて京都に来られると、また違った楽しみがあると思います。
(このブログをアップした時点では、まだ還幸祭は行われていません


最後にこれも有名な話ですが、7月中は京都の町衆はキュウリを食べないというのを知ってはります?(← 若干、京都弁で...)

祇園祭八坂神社のお祭りなのですが、その八坂神社の紋がキュウリの切り口に似ていることから、祇園祭の期間はキュウリを断って神様に使えるということなのです。



しかし、今年の祇園祭は熱(暑)かった〜。



※写真は「前祭」の宵山の風景です。 



祇園祭のひみつ―コラムとクイズで解き明かす (月刊京都うんちくシリーズ)

祇園祭のひみつ―コラムとクイズで解き明かす (月刊京都うんちくシリーズ)

 

 

お散歩桜 京都

自然の色はどこか優しくて、心を捉える美しさがありますね。


ということで、京都の桜もそろそろ見納め。
僕が散歩や打合せの移動途中に撮ったものをアップしておきます。

今年はFacebookなどのSNSでも桜の写真が多かったですね。



しかし、神(自然)のデザイン力は素晴らしい。


f:id:gridGraphic:20140401174819j:plain

 高瀬川木屋町高辻上ル辺)

f:id:gridGraphic:20140403154919j:plain

 東本願寺前(京都駅から徒歩10分ほど)


f:id:gridGraphic:20140403155049j:plain

東本願寺前(秋には銀杏が美しい場所です)

f:id:gridGraphic:20140406140321j:plain

五条大橋西詰

f:id:gridGraphic:20140401174243j:plain

木屋町四条下ル辺

f:id:gridGraphic:20140404121003j:plain

東本願寺前(遠くに京都タワーが見える)

f:id:gridGraphic:20140404182405j:plain

 高瀬川木屋町高辻上ル辺)
最初の写真と同じ場所ですが、1週間ほどで葉桜に。

 

 

 

飴ちゃんとおばさんとお稲荷さんと

f:id:gridGraphic:20140319114658j:plain

ずっと気になっていることがあるのです。

人を呼ぶ時は「田中さん」とか「優子ちゃん」と言うのがまぁ普通。たまに「社長はん」などと呼ぶ人もいるのだけれど、この「ちゃん」と「さん」と「はん」みたいなものの区別についてちょっと考えてみました。


というのも、関西ではたまに見かける光景なんだけど、例えば「おばさん」が電車で席を譲ってくれた見ず知らずの若者に「お兄ちゃん、ありがとうな。飴ちゃんたべるか?」とおもむろにカバンの中から飴を出して渡すというのがあります。TVとかでもよく言われるので見たことのある方も多いと思います。僕の場合は、実家で寛いでいる時に何の前触れも何の脈絡もなく「飴ちゃん食べるか?」と母親が話しかけてくることがあり、普通のことだと思っていたのですが、この「飴ちゃん」の「ちゃん」が急に気になってしまったのです。

人を呼ぶ時の敬称としての「〜さん」や「〜ちゃん」は何となく理解できます。自分からの距離が近いと感じている人には、その親近感から「〜ちゃん」と言ってしまい、オフィシャルな場所やそれほどまだ親しくない人には「〜さん」となる。ビジネスの場合では「〜様」と呼ぶ場合も少なくないと。業界の場合は、親しさをアピールするためなのか割と初対面に近い人でも「〜ちゃん、元気?」などと言ってくる自称プロデューサーが多くいらっしゃいますw


で、僕の生まれ育った関西、特に京都ではあらゆるものに「さん」を付けて呼ぶことが多いのです。

お芋さん
おあげさん
おくどさん
お豆さん 
お稲荷さん
天神さん
八坂さん
etc...



食べ物や神社、道具などに感謝して、畏敬の念や大切に思う気持ちから「さん」をつけ、親しみを込めて接する気持ちは大変よく分かるんですが、小さい頃からなぜ「さん」がつくのか分からないものがひとつあります。それは…


「うんこさん」


毎日つき合うための親しみなのか、これを投げつけられでもしたら敵わないからなのか…

おそらく昔は病気や体調を知るためのものだったので、大切だという思いから「さん」を付けたのではないかと僕は思っているんですが、さて本当のところはどうなのでしょうか。


あらゆるものに畏敬の念を持って、大切に使ったり、感謝する気持ちはものづくりの上でも大切だと思います。そのものを良く知り、それを使う人を知り、色んなことを考えて大切につき合って行くために丁寧にデザインする。

やはり創造は想像からなのです。




f:id:gridGraphic:20150105140230j:plain
にほんブログ村



 

丁寧なほど、おそろしい 「京ことば」の人間関係学

丁寧なほど、おそろしい 「京ことば」の人間関係学

 

 

 

東京ディズニーリゾートが30周年ということで思い出した話

去年から『東京ディズニーリゾート 30周年“ザ・ハピネス・イヤー”(2013年4月15日(月)〜2014年3月20日(木)』が開催中。

そのことをつい最近知ったんだけど、中学の時の修学旅行がディズニーランドだったことで起こったいくつかのエピソードがあります。


30年前、僕は15歳の中学3年生でした。
僕の通う中学校は修学旅行先が毎年信州(スキー研修)に決まっていたんだけど、なぜかオープン間もない「東京ディズニーランド」になりました。そして宿は東京都内のホテルということで、当時京都で一番生徒数の多い「マンモス校」が様々なシュミレーションを行うことになったのでした。ま、あまり信じてもらえないんですが、ホントのお話w




校庭に描かれた新幹線(俯瞰図)w

京都でも有名なマンモス校でも「校内暴力」などが吹き荒れた昭和の時代。僕の通う中学も例外なく、学校の窓ガラスは1枚も無いほどに荒れていた。そんな中、修学旅行では京都から東京まで600人近い生徒が移動するんだから、引率する先生も大変だったと思います。


ある日、広い校庭には新幹線の俯瞰図が描かれることになるのである。まるでナスカの地上絵のように。。

そして、先生がストップウォッチを片手に檄を飛ばす。
そうなのです。停車時間内に生徒全員が新幹線の乗り降りができるための訓練。当時は新幹線に乗ったことのない者も多く居て、乗り降りがイメージできなかったこともあるんだけど、毎度乗り遅れて京都駅に取り残される生徒がいたんだとか...

結局、本番では上手く乗れたのは幸いでしたw





わら半紙のフルコースディナー

東京での宿泊先が「ホテル」ということで、学校ではテーブルマナーの授業が組まれました。「ホテル=フルコースディナー」というイメージだったのかな。。

ナイフとフォーク、皿の描かれた「わら半紙」が配られ、「ナイフとフォークは外側の端から順番に使います」的なことを習ったように思います。しかし、実際に泊まったホテルでは「フルコース」などは出るはずも無く、日本的なお箸で食べるディナープレート言うべき夕食でしたw




ディズニーランドの中はアメリカ

当時は所謂「ヤンキー」が全盛の時代。みんな学ランで詰め襟や裾丈が長く、ズボンは太いものを履いていました。制服の裏には龍や虎や鷲なんかが刺繍されてたり...(遠い目)学校をサボって、他校に喧嘩しに行ったりするような生徒が多かったの事実です。そんな学生が数百人もオープン間もないディズニーランドに行くのだから、先生方も相当悩まれたんだと思うんだけど、ある日先生から通達された内容に衝撃を受けました。

「ディズニーランド内はアメリカ。日本語は通じず、治外法権で喧嘩や万引きなどは全てアメリカの法律で裁かれるから悪さするな!」

今だと大爆笑が起こるか、うるさい保護者からクレームが来るんだと思うけど、当時は「マジ?」「どうしよう??」という困惑が起こる程度。とにかく「夢の国 ディズニーランド」に行きたい良い子達は、先生におとなしくすることを誓ったのでした(笑


で、行ってみたら、スタッフも日本人ばかりで日本語も普通に通じる。当たり前なんだけどw

結果、ちょっとした事件が少しあって大目玉を食らい、翌年の修学旅行はディズニーランドに行けなくなるという、後輩たちにとっては大変迷惑な結果になったのでした。(事件その他は、僕が関与していないことを特に申し上げておきますw)




オープンから30年経つ東京ディズニーリゾートは、僕が初めて行った頃より大きく広くなっているんだけど、様々なアトラクションやサービスは進化し続けているように思います。ほんとスゴい。

数年前にディズニーとコラボレーションして商品開発した時も、やはりディズニーの底力を見たように思います。アメリカで生まれたディズニーは、今や日本人の心に溶け込んで馴染んで居るんだなぁと、最後に少しデザインよりのことを言ってみたりして締めておきます。