デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

東京ディズニーリゾートが30周年ということで思い出した話

去年から『東京ディズニーリゾート 30周年“ザ・ハピネス・イヤー”(2013年4月15日(月)〜2014年3月20日(木)』が開催中。

そのことをつい最近知ったんだけど、中学の時の修学旅行がディズニーランドだったことで起こったいくつかのエピソードがあります。


30年前、僕は15歳の中学3年生でした。
僕の通う中学校は修学旅行先が毎年信州(スキー研修)に決まっていたんだけど、なぜかオープン間もない「東京ディズニーランド」になりました。そして宿は東京都内のホテルということで、当時京都で一番生徒数の多い「マンモス校」が様々なシュミレーションを行うことになったのでした。ま、あまり信じてもらえないんですが、ホントのお話w




校庭に描かれた新幹線(俯瞰図)w

京都でも有名なマンモス校でも「校内暴力」などが吹き荒れた昭和の時代。僕の通う中学も例外なく、学校の窓ガラスは1枚も無いほどに荒れていた。そんな中、修学旅行では京都から東京まで600人近い生徒が移動するんだから、引率する先生も大変だったと思います。


ある日、広い校庭には新幹線の俯瞰図が描かれることになるのである。まるでナスカの地上絵のように。。

そして、先生がストップウォッチを片手に檄を飛ばす。
そうなのです。停車時間内に生徒全員が新幹線の乗り降りができるための訓練。当時は新幹線に乗ったことのない者も多く居て、乗り降りがイメージできなかったこともあるんだけど、毎度乗り遅れて京都駅に取り残される生徒がいたんだとか...

結局、本番では上手く乗れたのは幸いでしたw





わら半紙のフルコースディナー

東京での宿泊先が「ホテル」ということで、学校ではテーブルマナーの授業が組まれました。「ホテル=フルコースディナー」というイメージだったのかな。。

ナイフとフォーク、皿の描かれた「わら半紙」が配られ、「ナイフとフォークは外側の端から順番に使います」的なことを習ったように思います。しかし、実際に泊まったホテルでは「フルコース」などは出るはずも無く、日本的なお箸で食べるディナープレート言うべき夕食でしたw




ディズニーランドの中はアメリカ

当時は所謂「ヤンキー」が全盛の時代。みんな学ランで詰め襟や裾丈が長く、ズボンは太いものを履いていました。制服の裏には龍や虎や鷲なんかが刺繍されてたり...(遠い目)学校をサボって、他校に喧嘩しに行ったりするような生徒が多かったの事実です。そんな学生が数百人もオープン間もないディズニーランドに行くのだから、先生方も相当悩まれたんだと思うんだけど、ある日先生から通達された内容に衝撃を受けました。

「ディズニーランド内はアメリカ。日本語は通じず、治外法権で喧嘩や万引きなどは全てアメリカの法律で裁かれるから悪さするな!」

今だと大爆笑が起こるか、うるさい保護者からクレームが来るんだと思うけど、当時は「マジ?」「どうしよう??」という困惑が起こる程度。とにかく「夢の国 ディズニーランド」に行きたい良い子達は、先生におとなしくすることを誓ったのでした(笑


で、行ってみたら、スタッフも日本人ばかりで日本語も普通に通じる。当たり前なんだけどw

結果、ちょっとした事件が少しあって大目玉を食らい、翌年の修学旅行はディズニーランドに行けなくなるという、後輩たちにとっては大変迷惑な結果になったのでした。(事件その他は、僕が関与していないことを特に申し上げておきますw)




オープンから30年経つ東京ディズニーリゾートは、僕が初めて行った頃より大きく広くなっているんだけど、様々なアトラクションやサービスは進化し続けているように思います。ほんとスゴい。

数年前にディズニーとコラボレーションして商品開発した時も、やはりディズニーの底力を見たように思います。アメリカで生まれたディズニーは、今や日本人の心に溶け込んで馴染んで居るんだなぁと、最後に少しデザインよりのことを言ってみたりして締めておきます。