デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

デザイン脳

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僕がフリーランスとなって“gridGraphic”というデザイン事務所を始めた頃、剣道部の先輩に誘っていただき京都芸術デザイン専門学校というところで講師をしていたことがあります。


3年間という短い時間でしたが、人に何か教えるということが自分にとって凄く勉強になるということを経験しました。また、若いデザイナーを目指す学生たちと触れ合うことはとても刺激的でした。

もう10年ほど前になりますが、偶に当時の生徒と飲みに行ったりしています。未だに先生と呼んでくれることに恥ずかしさと嬉しさがあったりしますが、ほんとうに有り難いことだと思います。。

 

 


で、タイトルのお話。

僕が専門学校でデザイナーを目指す人に「デザイン」を曲がりなりにも教えると決めた時、何を伝えればちゃんとしたデザイナーになれるかということを考えました。この「ちゃんとしたデザイナー」という事自体が曖昧なのですが、とりあえず「プロとしてきちんと仕事ができるデザイナー」というのを基本にしました。

そして、最初の講義で「10年後の自分のポジション」をまずは想像させ、そこへ到達するまでの時間を区切るということを考えてもらいました。そして、今年一年、来年一年の目標を立てて在学中になすべきことを考える時間としました。考えることや想像することを常態化することと、デザインにはすべてに理由があり必然でなければならないことを繰り返し話しました。まぁカリキュラムにはない、学校からすれば余計なメニューだったのですがw

という基本的なことをやった上で、はじめてデザインをやろうと緊張している学生に今度は「記憶にある絵」「イメージできる絵」を描かせました。TVでもやっている「記憶力画力」的なものです。

例えば、「ライオン」とか「ヘリコプター」とか簡単なものから、「京都」とか「日本人」など若干抽象的なものへと進めていき、それらをイラスト(ビジュアル)で表現させるのですが、これが面白い!!誰が見ても「あ〜、これはライオンだね」と分かるものを描ける人は少なく、たいていは「惜しい。なんか違う」となります。


これは絵の上手い下手ではなく、そのものを捉えるポイントとデフォルメの仕方、それから自分ではなく他人にどう見せると「それらしいか」というプレゼンに通じる表現力が必要なのです。そして、この「それらしく見せる」ことこそがグラフィックデザイナーが最低限持たなければならないスキルだと思います。

ただこれは「絵を描く」という単純なアウトプット作業です。常にあらゆるモノの特徴を捉える習慣、もっと言えば物事の本質を見抜くチカラを鍛えて、いろんなものを見て自分自身に情報をインプットしておかなければ良いデザインなんてできないのです。。


こういう風なものの見方、捉え方、そして表現へと繋ぐ流れを習慣化してしまうこと。
逆に言うと常に素直にものを見られなくなってしまったデザイン病のような状態。
これを僕は「デザイン脳」と呼んでいます。


何にでも興味と疑問を持ち、なぜこのデザインになったのか?
誰に何を伝えようとしているのか?
僕だったらこうする。。
などと独りで妄想する癖がついてしまっているのです。


一度、まわりの商品や何気ない道具たちをそういう目で眺めてみてください。
デザインした人間の想いやアイディアが少し見えるかも知れません。