デザインの余白

京都のデザイナーでディレクターの徒然メモ。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

解体され消失していく京都の町家

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僕の事務所は、所謂「京都のまちなか」にある。御所近辺や北の方の「京都人」からすると、ギリギリまちなかと言われる五条なんだけれど。僕は伏見稲荷で生まれ育ったので五条でも十分まちなかで、今でも「町家」がたくさん残ってる。


そんななか、この数年流行っている「インバウンド」とやらで外国からの観光客が激増し、ホテルやゲストハウスというものがあっという間に増えた。僕の事務所がある町内は、五条通から万寿寺通までのたった70〜80メートルほどの通りで、戸数にして20数軒しかない小さな町内。マンションとアパートがあるから、実際に住んでる家はもっとあるけれど、それでも50軒もないはず。

その町内に、この数年でゲスハウスが3軒、ホテルが1軒建った。そして今年に入って、老舗の鰻屋さんが廃業して更地になり、今またその向かいの町家が更地になろうとしてる。おそらくその2軒ともゲストハウスかホテルになるのだろう。

最近落ち着いてきたとはいえ、京都はプチバブル。場所にもよるけど、50坪ほどの土地が数億円になるとの噂もあり、維持にお金が掛かるから高いうちに売ってしまえという空気が無いこともない。高齢化でお年寄り一人になった町家をこの先誰が管理していくのか、家賃は無くとも維持するにも費用は掛かるし、家を継ぐべき子どもたちは遠く離れて暮らしている。。時代の流れで仕方のないことなのかも知れないけれど、なんだか寂しい。

去年も京都で最古級の町家が消失したという記事が出ていた。 

www.kyoto-np.co.jp


この10年ほどで6,000軒近い町家が取り壊され、消失したという話もある。。


町家を取り壊してホテルになったり、ゲストハウスになるのは百歩譲って良いとして、ペカペカのもっさい建築物があふれるのが気になる。景観条例とか御大層で面倒な条例を持ってるのに、建物の高さとか色とかだけにうるさく、その建築物のデザインや使用する素材、周りとの協調性などはあまり規制されない状態がもう数十年も続き、ヨーロッパの古い町と同じように歴史のある京都の町が、それら海外とは次元の違う理屈で安物の上辺だけの景観にされ、ちぐはぐなパッチワーク状の町になってしまっている。

そして、今また「インバウンド」の美名のもと、町家を解体は続いている。京都市も宿泊税みたいなことをするなら、町家を解体しないで済むように助成するとか、それでも宿泊施設を作る場合は特別高い税を課すとかやるべきことはあるはずだと思ったりする今日このごろ。

100年、200年という間、残されてきたものを1週間程で壊して、ひと月程で建ててしまう。もっと時間を掛けて考えることもあるだろうし、それだけの覚悟を持ってお金を掛ける必要もあるだろうにと思う。

どうせ壊すなら、ちゃんとしたものを作ってくれ。 ほんまに。

 

京都の町家を再生する

京都の町家を再生する

 
京町家拝見 (SUIKO BOOKS 161)

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桜で思い出すこと、思い出せないこと 〜新元号と桜〜

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そろそろ桜も満開に



新しい元号が「令和(れいわ)」であると昨日、4月1日に発表されましたね。そして、その新元号に切り替わる日が5月1日。奇しくも僕の生まれた日なんだと思いながら、あとひと月で「平成」も終わってしまう。寂しいような気もするし、新しい時代が始まるワクワク感もあるしで、昭和生まれの僕は、昭和・平成・令和と3つの時代を生きることになるんだなと。。おそらくあと10年か20年もしたら「昭和生まれなんですか!?」なんて言われるに違いない。


新しい元号を見て聞いて、なんだか嬉しく明るい気分になった人は多いと思う。昭和から平成に変わる時は、昭和天皇崩御という日本中が悲しむでき事があり、これまでに経験したことのない暗い気分に覆われ、あらゆることが自粛され喪に服していた。けれど今度の改元は、今上天皇が譲位されることで行われるため、お目出度い印象が強いですね。

と、なんだかウキウキした気分で事務所から四条まで歩く途中、佛光寺さんの境内に桜が咲いているのを見かけて写真を撮ってみました。今日は寒くて真冬の感じなんだけれど、こんなに桜が綺麗に咲いているとは。
佛光寺さんの前はほぼ毎日通るし、この時期は桜が綺麗だし、秋は銀杏で境内が黄色く染まるし、夏は大きな階段のところで涼んだり休んだりする人も多い近所のお寺さん。

そして、桜の写真を撮りながら、お寺の境内で明日が父の命日ということを思い出す。父は昭和16年(1941)2月3日生まれで、昭和58年(1983)4月3日に亡くなったので、生まれた日も死んだ日も共に3日ということに何か因縁を感じるけれど、そう言えば僕の好きな数字は3だったりする。その父が亡くなった4年後の昭和63年(1988)4月1日に、僕は大阪のデザイン事務所でデザイナーとして働き始めたことになる(というのをこれを書きながら思いだしてる)。そして翌年の昭和64年(1989)が平成元年となり、平成31年(2019)が令和元年となるんだな。

ということは、デザイナー歴31年やん。(なんかズレてるような気もするけど)
独立してgridGraphic(僕の事務所)を立ち上げたのが平成12年(2000)なので、21年なんとかフリーランスでやってこれてるということになる。ありがたい。

こうして色んなことを思い出すのは何故か昭和◯年とか平成◯年とか元号表記。仕事ではパッと元号→西暦を換算できなかったりするので西暦を使いうことが多いけど、西暦よりもやはり感慨深いものがあるように思います。

思い出すと言えば、僕は父の葬儀の時に喪主だったんだけど、その葬儀の前後の記憶がない。多分父を亡くしたショックと生活や様々な環境が激しく変わったりで、いきなりの変化についていくのに必死だったのかも知れません。まったく覚えていないんだけど、おそらく今日みたいに桜の花が咲いていたんだと思います。こういう数字やタイミングが揃うときって、不思議なものを感じます。

ということで、京都の桜は今週末くらいがピークかも知れません。今や普段でも凄い人、人、人なのに、桜の季節となると更にたくさんの人が...
ただでさえ地元民がランチをするにも困る状況なのに、これからゴールデンウィークにかけては昼も夜もお店は予約必須となるでしょう。実際、予約しないと入れないお店も増えました。京都に来られる際は、早めに予約してくださいね。

 

桜

 

去年からDA PUMPが気になってます。

この気なんの気、気になる気みたいな話

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夕方の五条大橋(北方面を望む)が僕の落ち着く場所でもある




サボりがちというか、ほとんど書いてない状態のブログですが、今年初、そして約三ヶ月半ぶりの更新です。すっかり春めいてきて、海外からの観光客増加でランチもままならない京都からお届けします。みなさん、お元気ですか。相変わらず普段感じたことを何でもデザインに結びつけてしまう癖が抜けませんが、今回もそんなお話です。


さて、「気」って言うと何だかスピリチャル的なことを想像してしまうかも知れないけれど、「やる気」とか「眠気」とか「色気」みたいな身近な「気」もある。そして、人は色んな「気」を発したり、取り込んだりしてて、偶に「悪い気」に当てられて「気分」が悪くなったりした経験のある人も居ると思う。

目に見えない「気」とか、その人の「雰囲気」を作ってるものもあれば、「現場の空気」みたいな沢山の人が集まることでできる「場」みたいなものもある。要するに「気」は人が集まってできるものだと思うんだけれど、たた居るだけでは「気」は作られず、ドラゴンボールの「元気玉」とか「かめはめ波」(ある種の気の塊)のように人が人に対して何らかの思いや期待や欲望を向けた時に発生するものだと思う。なので、好意や悪意なんてものはその「気」の最たるものだろう。

で、僕はこの「気」を非常に感じるというか、とても気になってしまう。好悪の感情、愛情のようなものや喜びなどのプラス方向の気、また邪な気持ちや妬みや恨みなどのマイナスの気。。人それぞれが日々感じたり、思ったりする大小の気持ちや感情が渦巻いているというのを感じることがあって、それらの気によって幸せを感じることがあれば、人のマイナス感情の「気」で疲れることもある。

普段は沢山の方々と交流することが多いけれど、そんな時は人との関わりを一切断って独りになりたくなる。で、何故か神社に行ってしまう。お寺ではなくて。神社の方が参拝客が多かったりするんだけど、それでもその人達は気にならなくて、境内に僕一人で居る感覚になるから不思議。ま、人が来ない場所というのもちゃんとあるんだけれど。

と、なんの話をしたかったの分わからなくなってるけど、「気」というのは確かにあって、それはデザインの場合でも僕には需要なファクターになっている。時代と言う「空気」を感じ、これからの将来性・可能性など「気配」を読み、デザインする上で大切にしてる。そしてプレゼンテーションするときや打ち合わせの際の相手の「気持ち」や「場の空気」、感情などを感じることも大切にしてる。経験と勘みたいなあやふやな、個人の感覚に依存するような気もするけれど、実はこの勘こそが大切だと思ってる。現実の体験や積み重ねから、その人なりのデータが蓄積され、それを瞬時に判断して最良の選択をする作業を「直感」とか「勘」という気がする。


ま、今回は「気」をテーマにしてデザインに結びつけたのは少し強引なきもするけど、良くドラマなんかでヒロインが「人の気も知らないで!」なんてことを言わせるようなデザイナーでは、良い仕事ができない気がする今日このごろです。「気」が多い(笑

 

 

ディレクションってなんだっけ

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God is in the Detailes


最近タイムライン上で「ディレクション」という言葉をよく見かけるので、僕のディレクションというか仕事について少し考えてみた。

僕の仕事はグラフィックデザインをベースに、ロゴを作ったり広告を考えたり、DMや名刺やカタログをデザインしたり、商品企画したりもするんだけど、単発の仕事=例えば名刺だけを依頼されることは少ない。よくあるのは建築家や空間デザイナーが店舗やイベントの空間を設計・デザインする際にグラフィックを依頼されること。僕はそれらの案件を純粋なグラフィックデザインとは別に、空間を理解しつつサイン計画的な要素が大きいことから「インテリアグラフィックス」と呼んでいる。これは施主(空間の依頼主)からではなく、その空間デザインを依頼された建築家や空間デザイナーインテリアデザイナーから僕に依頼されるもので、そのプロジェクトが終わった後に、また別件として新たに施主から直接広告やグラフィックの仕事を相談される流れとなります。

そして、グラフィックデザインの分野で相談を受けながら、気がつけばそのお店のユニフォームから店舗のツール、広告、WEBサイト、果ては空間そのものまでデザインからディレクションをしていることが多くあります。基本的にグラフィックデザインは僕一人で完結する仕事で、ディレクションは社内外を含めたくさんの人と一緒にチームを組んで仕事を進める際のポジションと考えています。

ディレクション」とは、指導や監督、演出といった意味があると言われていますが、グラフィックデザインの業界では、現場監督といったところでしょうか。このディレクションにも「アートディレクター」と「クリエイティブディレクター」があり、ビジュアル面やデザイン的な表現を取りまとめる人がアートディレクター、元となる企画段階から作戦を練り、アートディレクターやグラフィックデザイナーへ指示・監督をし、他多くのスタッフを手配して予算についてもある程度管理する人がクリエイティブディレクターと考えています。これは一般的な認識だと思うのですが、間違っていたらごめんなさい。ま、お金を管理する人をプロデューサーというのでしょうが、グラフィック業界でこの肩書をあまり見かけないので、CD(クリエイティブディレクター)が兼ねているとします。広告代理店にはプロデューサーの肩書を持つ人も居ますが。

ということで、ざっとディレクターの仕事内容をざ書きましたが、そういう仕事の守備範囲(職能)で考えると、僕はグラフィックデザイナーでありアートディレクターであり、クリエイティブディレクターでもあります。なので、肩書は「グラフィックデザイナー&ディレクター」としています。若い頃はアートディレクターという響きに憧れたけれど、実際に仕事をする上ではどうでも良いなぁと、今では思います。肩書で仕事してる訳じゃないし、どんな肩書であっても、また肩書が無くてもやることは同じだし。

若い(早くディレクターになりたかった)デザイナーの頃は、ディレクターとは企画を考えクライアントに対してプレゼンテーションを行い、多くのスタッフを使ってひとつのプロジェクトを構築・成功させるため、時にはクライアントも説き伏せ、ねじ伏せるような力が必要と考えていたことがあります。例えると、クライアントやスタッフとは対面した位置で全体を引っ張っていくイメージ。出てきたデザインやコピー、写真などをチェックする、どちらかと言うと上から管理・指揮する少し偉そうな感じですね。

しかし、ずっと仕事を続けているなかで僕の意識と仕事の仕方も変わって来て、ディレクターはクライアントの考えを読み取り、その先を見て様々な準備と用意をするために必要不可欠なスタッフを集め的確に手配、スタッフにも投げっぱなし(振りっぱなし)ではなく、進捗や状況を把握して先に手を打つなど、実制作よりも準備とフォローに時間を費やす。クライアントやスタッフとは対面ではなく、横に並ぶイメージです。デザインだけをやるよりも、やることは山のように増えます。企画も考えるし、プレゼンもするし、撮影も行くし、ロケハンもするし、市場調査もするし、展示会にも行くし、打合せ・会議へも参加するし、宴会のセッティングもするし、販売先の開拓のために人をつないだり、出張のための飛行機の手配やホテルの予約まですることもあります。はい、何屋さんなのでしょうか?(笑

無駄に色んなことをやって居るわけではなくて、すべて必然があり、僕がやることに意味があると信じてるんだけど、たまに自分が三人ぐらい欲しい時があります。僕の場合は、クライアントがより良くなるためと信じるデザイン、クライアントを通して世の中が良くなったり、利用する人々が幸せになったりするためのデザインを実現する、その早道が「自分でディレクションする」ということだっただけで、優秀なディレクターに出会っていればフリーランスにはなっていないかも知れません。


いや、過去に素晴らしいデザイナー、ディレクター、プロデューサーにもたくさん出会っているので、僕の性格が組織に向いていないだけかも知れないな。たぶん。。きっと。




それから、デザイナー必読の書をご紹介しておきます。僕のInstagram でも紹介しています。たまにね。(普段は食べたものとか、気になった風景やモノとか、飲んでる人と自撮りするメモ代わり)

「ない仕事」の作り方

「ない仕事」の作り方

 

物事の捉え方、考え方にいつも感心させられつつ笑わせてくれるセンスは抜群。京都の先輩でもある、みうらじゅん氏の著書。デザイナー、企画者として必読の書。

 

口紅から機関車まで―インダストリアル・デザイナーの個人的記録

口紅から機関車まで―インダストリアル・デザイナーの個人的記録

 

 デザイナーになるならこれは絶対に読んでおけと言われた一冊。タイトル通り、口紅から機関車までデザインされていないものはないというお話。かなり字が小さくて読破するには気合が必要。

 

デザインの小骨話

デザインの小骨話

 

 東京大学大学院情報学環教授、プロダクトデザイナー山中俊治先生の著書。デザインにおける視点や考え方など、プロダクトに限らずどの分野にも共通する気づきのエピソードが満載。

 

フォントのふしぎ ブランドのロゴはなぜ高そうに見えるのか?

フォントのふしぎ ブランドのロゴはなぜ高そうに見えるのか?

 

Monotype社のタイプ・ディレクターであり、欧文フォントの定番「フルティガー」の改刻を行い、「たづがねゴシック」のデザイナーでもある小林章氏の著書。欧文フォントについての楽しく興味深い70のコラム。グラフィックデザイナー必読。

 

田中一光デザインの世界

田中一光デザインの世界

 

 

伝統と今日のデザイン

伝統と今日のデザイン

 

日本のグラフィックデザインを方向づけたと言ってもよい田中一光先生の著書。氏の著書、作品集はどれでも見て勉強になるけれど、若いデザイナーが知らなかったりするので、載せておきます。

鬼の一言

最近、京都のアパレルブランドと和菓子屋さんのコラボレーション企画について、少しお手伝いをした。もう記者発表されてるから、詳しく商品について話しても良いんだろうけれど、あと一週間ほどであるところにお店がオープンするのでまだ詳細は伏せておく。

 

今日、その和菓子屋さんの社長とお話をしていて、「凄いものづくりをする人は平気で鬼のようなことを言う」ということで意見が一致した。

例えば、数週間掛かってデザイナーの指示通りに職人さんが仕上げたモノがあるとしよう。そのモノが開店一週間前に、デザイナー自らがその出来をチェックしたとき、指示したデザインと少し違う部分があったとする。さて、あなたならどうしますか?もはや作り直す時間はないか、あっても徹夜を何日かしなければ間に合わないタイミングであることは、全員が分かっていることです。

 

デザイナーは一言「作り直そうか」と。現場がシーンと静まり返るなか、もう一度そのデザイナーは言います。

 

「今から作り直そうか」

 

この一言がなかなか言えないんだなぁ。。

その場の空気、残りのスケジュール、これまでの職人さん及びスタッフの努力、予算…

これらが一気に頭の中を駆け巡り、デザイナーとして「これぐらいならOKしようか」と思ってしまいがち。デザイナーの鬼のような一言で、関わる全員が今まで以上の力を再び出さなければならなくなります。制作過程、技術的なことを知るほどに言えなくなります。

 

デザインの現場では良くあることですよね。で、スタッフ全員に死刑宣告をするにも等しい、その一言を言えるかどうかで最終的な仕上がり、パーフェクトなモノと成るかが変わる。誰もが経験し、時には妥協したことがあると思います。

 

凄い人は、鬼になるのです。

 

人に厳しいだけでなく、ものづくりに厳しく妥協しないからこそ、素晴らしいデザインを完成させるのです。そして、凄いものづくりをする人は、他人だけではなく自分にも厳しいので、その作り直す為に必要な努力もスタッフ以上にしているんですが。

 

僕にも経験があるけれど、周りの空気を読んで妥協した時は、必ず後悔となり言い訳となるし、結果的な評価も決して良くはないということ。しかし妥協せず「鬼のような一言」で、一時は厳しい状況になっても結果的に高く評価され、残るモノを作ることができて関わる全員が良かったと思えます。

 

ま、無茶振りしても死ぬようなことはないし、なんとか成っちゃうもんです。何とか成らない時もあるんだけど。。

 

 

やらずに後悔するよりは、やって後悔した方が良い。

強い想いは必ず道をつくる。

 

と、思います。

ただし、成し遂げるための最大限の準備と努力は必須だけど。

 

さて、明日は鬼にならなくて澄むように、まずは段取りと調整、打合せ。下準備は丁寧に漏れなく、繊細に。デザインと企画は大胆に、臨機応変に。