デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

この気なんの気、気になる気みたいな話

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夕方の五条大橋(北方面を望む)が僕の落ち着く場所でもある




サボりがちというか、ほとんど書いてない状態のブログですが、今年初、そして約三ヶ月半ぶりの更新です。すっかり春めいてきて、海外からの観光客増加でランチもままならない京都からお届けします。みなさん、お元気ですか。相変わらず普段感じたことを何でもデザインに結びつけてしまう癖が抜けませんが、今回もそんなお話です。


さて、「気」って言うと何だかスピリチャル的なことを想像してしまうかも知れないけれど、「やる気」とか「眠気」とか「色気」みたいな身近な「気」もある。そして、人は色んな「気」を発したり、取り込んだりしてて、偶に「悪い気」に当てられて「気分」が悪くなったりした経験のある人も居ると思う。

目に見えない「気」とか、その人の「雰囲気」を作ってるものもあれば、「現場の空気」みたいな沢山の人が集まることでできる「場」みたいなものもある。要するに「気」は人が集まってできるものだと思うんだけれど、たた居るだけでは「気」は作られず、ドラゴンボールの「元気玉」とか「かめはめ波」(ある種の気の塊)のように人が人に対して何らかの思いや期待や欲望を向けた時に発生するものだと思う。なので、好意や悪意なんてものはその「気」の最たるものだろう。

で、僕はこの「気」を非常に感じるというか、とても気になってしまう。好悪の感情、愛情のようなものや喜びなどのプラス方向の気、また邪な気持ちや妬みや恨みなどのマイナスの気。。人それぞれが日々感じたり、思ったりする大小の気持ちや感情が渦巻いているというのを感じることがあって、それらの気によって幸せを感じることがあれば、人のマイナス感情の「気」で疲れることもある。

普段は沢山の方々と交流することが多いけれど、そんな時は人との関わりを一切断って独りになりたくなる。で、何故か神社に行ってしまう。お寺ではなくて。神社の方が参拝客が多かったりするんだけど、それでもその人達は気にならなくて、境内に僕一人で居る感覚になるから不思議。ま、人が来ない場所というのもちゃんとあるんだけれど。

と、なんの話をしたかったの分わからなくなってるけど、「気」というのは確かにあって、それはデザインの場合でも僕には需要なファクターになっている。時代と言う「空気」を感じ、これからの将来性・可能性など「気配」を読み、デザインする上で大切にしてる。そしてプレゼンテーションするときや打ち合わせの際の相手の「気持ち」や「場の空気」、感情などを感じることも大切にしてる。経験と勘みたいなあやふやな、個人の感覚に依存するような気もするけれど、実はこの勘こそが大切だと思ってる。現実の体験や積み重ねから、その人なりのデータが蓄積され、それを瞬時に判断して最良の選択をする作業を「直感」とか「勘」という気がする。


ま、今回は「気」をテーマにしてデザインに結びつけたのは少し強引なきもするけど、良くドラマなんかでヒロインが「人の気も知らないで!」なんてことを言わせるようなデザイナーでは、良い仕事ができない気がする今日このごろです。「気」が多い(笑