デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

お誕生日について

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人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり
一度生を享け、滅せぬもののあるべきか〜


ということで、来年は歳男です。

上の詞は、信長が好んで舞ったと言われる「敦盛(幸若舞)」の一節ですが、自分自身50に手が届く歳になるとは想像していませんでした。ホントに月日が経つのは早いですね。

さて年齢ということで、昔から気になっていたことがあります。気になるというか、苦手なことでもあるんですが。。

近年はSNS、特にFacebookがほぼ毎日誰かの誕生日というのを知らせてくれます。そして多くの人がその通知を見て「お誕生日おめでとうございます!」などとお誕生日を迎える方にメッセージを送ります。

僕も少し前までは、ほぼ毎日誰かに「お誕生日おめでとう」というメッセージを送っていました。多い時は一日10人近くになることもありました。。で、ある日を境にこの「お誕生日おめでとうメッセージ」をやめることにしました。それは、ずっと気になっていたことがあったからで、お目出度いことを祝うのが嫌だからという訳ではありません。お祝いする場も、祝う人々と祝われる人の笑顔も、パーティなどの空気も嫌いではありません。


そもそも誕生日を祝う風習はいつから始まったのか?

日本では元々「誕生日」を祝う習慣はないというか、「数え歳」で年齢をカウントしていたため、各個人の誕生日(生まれた日そのもの)を祝うことはなかったようです。つまり毎年元日に年を重ねることを、お正月とともに祝ったということです。

そして、誕生日は宗教的な意味合いが強く、イエス・キリストの「生誕祭」としてとり行われたものが各個人の誕生日を祝う習慣につながったそうです。

なので「誕生日を祝う」行為はどちらかと言うと西欧・キリスト教的な文化であるようです。逆に日本・仏教的な考え方だと「誕生」よりも「入滅」など亡くなった時のセレモニーの方が重要視されていると思います。まったく正反対な感じがしますね。。

で、信長はこの生誕祭を日本で初めて行ったとも言われています。それは神に近づいた信長が多くの家臣や人々から崇められることで、絶対的な権力者としての地位を確立しようとしたのではないでしょうか。日本初の天守閣が備わった巨大な安土城に住み、家臣に自分のことを「天主」と呼ばせ、西洋の事情にも通じ、キリスト教の布教を許したということからも頷ける話です。(あくまでもそう言う説があるということですが)


「おめでとう」と言われることの違和感

そもそも僕は誕生日を「ただ年齢を重ねる日」としか思っていなくて、なにか「特別な日」と言うよりは、誕生日をひとつの区切りとして考えています。ま、色んな事を思い出したり、なにかの決意表明をしたりするキッカケではあります。

なので、家族や友達から「お祝い」をしてもらうよりも、「ひとつ年を重ねる事ができました。ありがとうございます。次の一年も無事過せますように、よろしくお願いします」という気持ちで、家族やまわりの人に僕の方から「ありがとう」と言いたい気持ちなのです。本当はプレゼントを貰うんじゃなくて、みんなに記念品を渡してお礼を言うべきなんじゃないかと思っていたりします。実際にはしないんだけどw

そして、「おめでとう」と言われたり、今時の「サプライズ」なんてのをされた日には、どう反応して良いのか分からずに怒ったような顔になるので、ほんとに苦手なのです。こちらが誰かにお祝いをするのは構わないんですが。。



ということで、誕生日は祝ってもらうんじゃなくて、大切な人に「ありがとう」と誕生日を迎える本人から気持ちを伝えるのが本当じゃないかと思うのです。


また、デザインの話はできなかったw