デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

デザイナーになるには、大学と専門学校のどちらが有利なのか的な話

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REI KAWAKUBO COMME des GARCONS


明けましておめでとうございます。

このHatena Blogで「デザインの余白」を書き始めて約9年になります。そして前回の更新が2020年5月だから、2年ほど空いてて実質ブログ歴は7年と言うことになります。こんな不定期なブログでも読んでくださる方がいらっしゃるのがとても有り難いです。

ということで、ご無沙汰しております。ぐりぐらです。

 


さて、昨年末にあるクライアントと打合せの席で、こんな質問を受けました。

「娘がデザイナーになりたいと言ってるんだけど、美大系の大学か専門学校かどちらに進学するのが良いと思われますか?」


う〜ん。どうなんだろうか。

僕は普通科の高校を卒業した後、一日でも早くプロとして稼げるようになりたいと考えたので専門学校を選びました。そして、その選択は間違いではなかったと、今も思っています。しかし、専門学校に入るための費用を稼ぐために、高校卒業後1年だけバイトをしまくった期間を入れると、結局専門学校の卒業までに3年掛かってるので、大学に行ってたとしても時間的にはそれほど変わりがなかったかも知れません。

で、さっきの質問の答えですが、僕はこう答えました。

「可能であれば、大学へ進学することをお勧めします。専門学校でも大学でも良いのですが、よほどの強い意志と具体的な目標がないとデザイナーなどのプロとして食っていくのは難しいかも知れません。ですが、その4年間なり2年間で学ぶことや、そこでつくられる人間関係は一生ものだと思いますし、後から買えないものなので、いずれにしても進学しておく方が長い人生でプラスになんじゃないでしょうか。」

僕のようにとりあえず専門学校に入って、その間にデザイン事務所を回ってタダ働きしながら学校に通うようなことも無駄ではなかったと思うけれど、デザインや美術や歴史などを学問としても真剣に向き合う時間が必要だし、友人や師と仰ぐべき人たちに出会うことも大切だと思います。

大学で美術を勉強しなかったとしても、プロとしてデザインを続ける内には、いつかそれらを知る(学ぶ)必要が出てきます。そして、人とのつながりや人脈というよりも、人との接し方や距離感、コミュニケーションの取り方など、社会で仕事をする上で必要なことを学ぶことも大事だと思います。
これらの学びは、順番の違いがあっても、いつかどこかで必ずやらなければならないし、必ずその時が誰にでも来ると思うのです。その来た時にちゃんと向き合うことができるのか、またそれに気づくことができるのかという問題はあるんだけど。

大人になって仕事を持つと、何かと忙しかったり、いろんな事を理由に言い訳をしては避けてしまうことが多いので、そんなことも自分自身で反省しつつ、というかできることなら死ぬまでに大学という場所で学んでみたいということを考えたりしています。これまでの人生を振り返っても、僕は人よりも色んなことのタイミングがズレてる気がするんだけど、特に不具合もなかった気がします(笑

ということで、久しぶりの更新になりましたが、今年もよろしくお願い致します。



トップの写真は『REI KAWAKUBO COMME des GARCONS』の表紙。白い紙に、ほっそいエッジの型押しだけってのがシビレます。ま、この上にうっすい紙にスミコツで同じフォントが印刷されてるんだけど。どの世界でも極めると、男とか女とかそんなのは関係ないんだと思ったりします。

 

 

ボールの話

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人生で最初に買ってもらったのは、バットとグローブ

小学生の時、一番最初に父親に買ってもらったのが赤いバットとグローブ、軟式の野球ボールでした。

僕が小学生の頃は、将来なりたい職業の第一位が「プロ野球選手」で、当時は王、長嶋がONコンビとして現役バリバリで、後に王さんがハンク・アーロンメジャーリーグ通算本塁打(ホームラン)記録の755本を抜いて、シーズン公式戦通算本塁打868本という偉業を達成し、関西でも読売ジャイアンツのファンが結構居た時代。男の子は、野球とプロレスとスーパーカーに熱中し、僕もジャイアンツカードなんかを集めてたりして、弟と並んで撮った写真は、僕がジャイアンツで弟がタイガースのキャップを被っていた。

そんな昭和の時代なので、だいたいの家庭では男の子はバットとグローブを買ってもらい、ドラえもんでみる光景のように、放課後には近所の空き地に集まって野球をする毎日だった。うちは野球嫌いで極真空手とボディビルを愛する父にも関わらず、近所の友だちと付き合えるようにバットとグローブを買ってくれて、休日にはキャッチボールにも付き合ってくれた。

なぜ赤いバットを買ってくれたのか、それは母が教えてくれたのだけど、巨人の川上哲治氏が赤いバットを使って居たからということで、僕はよく川上氏を知らないんだけど、父はどうせ野球をするなら川上哲治氏のようになって欲しいと思っていたらしい。

結局、小学生3年から、これも父の希望で剣道をはじめ、野球はその後まったくやらずに、どこかの熱烈なファンになることもなく現在に至るんだけれど。

 


ということで、今日はボールのお話。
フリーランスデザイナーとして、いつも心掛けていることを少しだけ。

 


デザイン以外の力と技術

僕の場合、フリーランスとして仕事をするなかで、多くの場合が中小企業や個人商店で、仕事の相談や依頼があっても、その依頼者から明確な資料や原稿が完璧な状態で渡されることは殆どありません。ヒアリングを繰り返して、聞き出して、手探りで真意を図り、場合によってはその会社が何をしたいかすらも提案することもあるくらい。

そういう場合、大体はこちらの希望や欲しい情報などを依頼者に伝えて、それらが出てくるのを「待つ」ことになります。そして、広報や宣伝部、企画室などある企業ならしっかりと情報が整理されて提供・支給されるんだけど、中小の場合は技術部門の人が広報を担当していたり、社長が企画をしていたり、営業も兼務していたりと、デザイナーが待ってても期待するような資料など出て来ずに、結局良くわからないままに進めてしまうなんてことがあるはず。

で、結局双方ともに消化不良、不完全燃焼で「?」な感じになってしまったり、クライアントは「なんか違う」とダメ出しをしたり、デザイナー側は「もっと情報をくれれば、もっとよく出来たのに」なんて思ったり。。


これって、良いことなんだろうか。
プロだから与えられた条件で、最良のものを作るのが当たり前では。。

などと思うけれど、その「与えられた条件」や「情報」をもっと引き出せていたら、できることは増えるはず。

ということで、フリーランスは、まず「聞き出す技術」が大切になってくる。そして、それらの聞き出した情報を、その会社の企画・広報の人間になった気持ちで「情報整理」する。そして、最も有効と思われる方向と方法でアウトプットする。

それは、依頼者(クライアント)が作りたいと最初に相談してきた媒体やツールでは無いかも知れない。けれど、その会社やお店のために今、最良の提案をする「話す技術」も必要になってくる。そういう「デザインのまわり」の技術や知識、力もフリーランスには大切な、備えておくべき武器だと思います。

 


すべての仕事をなくして気づくこと

これらのことをスムースに、そしてスピーディに行うために、会話やデータのやり取りが必要になるけれど、これを僕はボールのやり取りで例えています。一回の質問や受け答えを1ターンとして、ボールを投げて、そして受け取る。

デザイナーが質問なり要望を伝え(ボールを投げ)て、その返事(ボール)がまた返ってくるんだけど、できるだけボールは向こう(依頼者=クライアント)に預けておく。というか、デザイナーがボールを持つ時間を最小限に詰め、先方には考えたり何かをする時間を最大限与える。そうすることでプロジェクト全体の進行が早くなるし、そして出てくる情報も増えて、デザインする際の選択肢も増えるし正確さもアップする。何よりも依頼者の印象が良くなる。(←ここ大事)

一番ダメなのは、忙しさのあまりお尻に火がつくまで作業できないこと。どちらかと言えば、クライアントに「アレ、どうなってますか?」などと言われることがあるというデザイナーが実は多いと思う。僕も最初の頃はそうでした。だって忙しいし、ひとつのクライアントの仕事だけをやってる訳じゃないんだから。

でも、クライアントにとっては、唯一頼んでるのは僕だけだし、頼りにしてくださっているのだから、口が裂けても「お宅の仕事だけをやってるんじゃないんです。もう少し待ってください」などと言わないこと。すべての案件を全力で、持てる力のすべてを使って絶対良くするという気持ちで取り組む。明日、死んでも構わないというくらいに。

(僕は一度、すべての仕事失ったことがあります。本当にあの思いは二度としたくない...)


ということで、クライアントとのやり取りをボールのやり取りに例えましたが、相手とのやり取りや情報交換が増える(増やす)ことで、よりクライアントのことも、商品のことにも理解が深まるし、そうなることでまた違う角度での提案や新たなアイデアも浮かぶし、それらがすべてクライアントのためになれば、結果的にデザイナーとして次の仕事も増えることになるんだし、すべて上手く行く気がします。

根底にあるのは、「自分のデザインで誰かの、何かの役に立ちたい」ということに尽きます。そのためにフリーランスになったんだし。



他のフリーランスデザイナーにとって、少しでも参考になれば嬉しいです。
今回もちょっと長い文章になったけれど、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

グリグラでした。

 



↓ これ、めっちゃ面白いです。ぜひ。

「ない仕事」の作り方 (文春文庫)

「ない仕事」の作り方 (文春文庫)

 

 



印刷とコストについてのちょっとした話

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ガシャンガシャンと高速で刷られる印刷物。僕は現場が大好きです。



どんなデータでも印刷してくれるネット印刷


最近ではWEBから入稿できる印刷、所謂ネット印刷を利用することが増えた。その理由は、クライアントから「印刷は◯◯◯でお願いします」と言われることもあるし、案件によってはコストパフォーマンスが高いと感じる場合もある。昔に比べて紙の種類も増えたし、印刷の質もそれほど悪くないし、対応もきちんとしている。中には気持ち良いくらいの会社もあるくらい。印刷(紙質や様々な加工など)を知っていて、目的と用途を見極めて使い分けるのであればとても良いと思います。

しかし費用が安い分、データ作成から入稿などデータをちゃんと作成し、指定などもしっかりとして、もちろん自己責任で管理しないと加工で間違ったり、思っていたものと仕上がりが違ったりすることが起こります。昔ならの印刷会社に連絡して、営業さんに版下データを送るか直接渡し、どういう加工をするのか、またどんな仕上がりを期待するのかを伝えると、例えば不完全なデータでも完成まで持っていってくれます(修正等が必要な場合でもそのことを伝えて対処してくれる)。そのかわり、印刷費用にはその営業経費や諸々のコストが必要となるため、どうしてもネット印刷よりは割高になってしまいます。逆に言うと、その確認や仕上がりまでの管理などを自分で行うから、ネット印刷はその分のコストが差し引かれて安くなるということ。

最近ではグラフィックデザインや印刷の知識がまったく無くても、またAdobe系のアプリケーションを使わなくても(エクセルやパワーポイントでページもののデータを作る凄く器用な方もいる)、モリサワのフォントが無くても、Macじゃなくても、まったくのド素人でもネット印刷なら印刷物として仕上げてくれます。これは凄いというか、プロのグラフィックデザイナーとしてはある種恐怖を感じるけれど(笑)。昔ながらの印刷会社でも勿論やってくれるのですが、一般の方はまずルートがないし、電話帳(もう使わないよね)に乗っててもそこが良い会社(どのような印刷が得意な会社)かどうか判断できないから結構敷居は高いと思います。


自分で首を絞めた印刷業界

で、ここ20年ほどでデザイン業界の制作工程も変化し、Macの普及によって写植屋さんがまずなくなり、製版がなくなり、ネット印刷の発達で印刷会社も激減しました。元々、印刷業界がいち早くMacを導入し、デザインから印刷までダイレクトにできると推進してきたのですが、僕は当時からそれは「自分の首を締めることになる」と思っていました。結果は、資本力のあるところやアイデアのあるところだけが残る世界となりました。

京都なんかは、紙屋さん、製版屋さん、印刷屋さん、加工屋さん...と小さな会社が流れ作業のようにそれぞれ仕事を分担して成り立っていました。支え合っていたと言っても良いかも知れません。大手の印刷会社が受けないような小ロット、多品種のものづくりをするにはとても良かったのですが、景気の低迷もあり、大手がその小さな仕事まで受けるようになり、またネット印刷などの普及でそれら町の印刷屋さんはなくなってしまいました(と断言してもよい程に減ってきています)。僕の妻の実家も輪転機が2台あるだけの小さな印刷会社でしたが、もう10年ほど前に廃業してしまいました。


印刷費の請求について


若いデザイナー(特に若いフリーランス)が、今あるコストパフォーマンスに優れて便利なネット印刷に頼るのはとてもよく分かります。そして、紙やインクなどにもこだわり、最近ではまた活版印刷に注目が集まっているのも当然の流れだと思います。様々な技術や技法を知ることは、それだけグラフィックデザインをする上での選択肢=デザインする上でのジャッジメントの幅が増えると言うことでもあります。

今回のタイトルを「印刷とコスト」にしましたが、それは若いフリーランスのデザイナーから聞かれる「印刷費をどう請求しているか」との質問に答えたかったから。

仕事を受ける際、見積りを提出して了承を得て、次にラフを作成して提案することが多いと思います。逆に、先にラフを作成してから見積もりをすることもあると思うけれど。

項目としては…

1)プレゼンテーション
2)ディレクション
3)デザイン
4)コピーライティング
5)撮影(またはイラストなどのビジュアルに関する費用)
6)印刷・加工
7)その他

上記の項目が基本となります。


印刷については、通常の印刷会社と組む場合、その印刷会社が了承すれば、僕のクライアントに紹介をして、印刷会社から直接印刷費用についての見積りを出してもらう。そして直接納品、請求までしてもらう。僕のところは「印刷管理費」として入稿の手配だとか、色校正のチェックだとか、データのやり取りだとかの経費などをクライアントから頂戴します。僕のところで印刷物を含むすべての費用を取りまとめて、一括でクライアントへ請求することも勿論あるけれど。
ネット印刷の場合は、クライアントの了承を得て着払いなどで直接お支払いいただき、こちらも「印刷管理費」または「入稿代行費用」としてデザイン及びデータ作成費用等とは別に頂戴します。

昔だと、印刷費用はすべてデザイン会社が管理して、印刷のコストも工程も印刷会社自体もブラックボックスにして、費用については若干不透明なところもありました。取引の性質上、デザイン事務所が窓口となり、費用の回収までするのが業界の慣例でもあり、印刷会社が直接クライアントと接触するのを嫌うという理由もあったと思います。
僕はデザインも含めて、すべて透明で誰にも不利益のない、誤魔化しのないやり方をしたいと独立時に決めました。ましてやブローカー的なことはしたくなかったんですが、実はその手数料的な部分が、利益を生むところでもあるのかも知れません。誰に聞かれても上記のように答えるんだけど、逆にみんなはどうしているのかも知りたいところです。


ということで、印刷のコストと請求方法について、皆さんの参考になれば幸いです。

 



↓ 印刷といえば、この本。めっちゃ、おすすめです。


『いとしの印刷ボーイ』と『印刷ボーイズは二度死ぬ』の2冊(ともに奈良裕己著)
印刷の豆知識も散りばめられてるし、グラフィックデザイナーあるあるで腹筋も鍛えられます(笑

いとしの印刷ボーイズ

いとしの印刷ボーイズ

  • 作者:奈良 裕己
  • 発売日: 2018/06/12
  • メディア: 単行本
 

 

ジュンク堂書店京都店がなくなると、迷子になれなくなる話

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ジュンク堂書店 京都店が2月29日で閉店するとのこと


 

本屋さん、それも結構大きな書店が無くなるということで、ちょっとショックを受けました。本は、本当に売れなくなってしまったのか、それともAmazonなどのネットでは売れているのか… などと知りたいことや疑問はたくさんあるけれど、その対策なんかを考えるのは専門家に任せよう。

僕が小さな頃は、それぞれの町に小さな本屋さんがあった。おじいさんが独りで店番していて、天井から床まで全部本棚で、お客さんが店内ですれ違うのも難しいくらいに通路が狭くてびっしり本が並んでいる感じ。店頭には週刊誌が平積みされてて、ジャンプやコロコロコミックなんかがあって、年末にはドラえもんカレンダーが吊ってあったりして、いろんな雑誌と混ざってちょっとエッチな写真誌があったり、奥の一角には黒い背表紙のフランス書院文庫なんかが、人目を憚るように置いてあったり…。おそらく小学校の校区毎に本屋さんはあって教科書の販売などもしていていたと思う。その指定書店以外にも昭和の頃は「町の本屋さん」がたくさんあった。そして、町の本屋さんには色というか癖というか、店主の好みというか、なんとなく置いてる本の種類やジャンルがあって、それが町の本屋さんの個性になっていた。

ある店はビジネス書が豊富だったり、またある店は参考書や辞書が揃ってたり、また違う店は料理やペットや手芸や登山など趣味関連の本が充実してたりと、一軒一軒同じように見えて、実はかなり品揃えが違っているのが僕の知る「町の本屋さん」だった。今では少数派になってしまったけれど。いや、まだそういう「町の本屋さん」はあるのだろうかと記憶をたどると、実家の近くに子供の頃よく通った本屋さんが残っていた。
今やお店の半分をレンタル着物店にし、残りの書店スペースも大半が漫画、あとは申し訳程度の雑誌と実用書があり、店舗の大半がカードゲームの陳列スペースとなっている。もはや書店なのかゲームショップなのか微妙な感じで、雑誌の品揃えも近くのコンビニの方が多いくらいではないだろうか。子供の頃は、大きな町(京都なので四条とか)へと行けないため、学校の図書室を除いては小さな町のその本屋さんが書籍に触れる貴重な場所のひとつだった。辞書や参考書を探し、週刊誌や漫画はすべてその本屋さんで買い、夏休みの宿題の夏目漱石太宰治など文学や石川啄木宮沢賢治などの詩集もその本屋さんで買ったと記憶している。

そんな町の本屋が消えてしまって久しい気がするけれど、それで今困っているかと言えば特に困ることはない。残念なだけである。僕がもっともっと町の本屋さんで本を買っていれば、そういう色のある本屋さんらしい本屋さんが今も町のあちこちにあったかも知れない。


とは言え、本屋さんが無くなることで文化が廃れるとか、若者は本を読まないとか、そんなことを言うつもりはまったくなくて、本屋さんが無くなると僕の楽しみである「迷子になる」場所が減るのがちょっと残念だったりするだけである。



本屋さんで「迷子になる」

本屋さんで「迷子になる」とはどういうことか、共感されるかどうかは分からないけど書いてみます。

例えばある日、僕が欲しいまたは読みたいと思った「目的の本」が明確にあって、まずは本屋さんに行く… ということは最近はあまりない。明確に本のタイトルや著者、出版社などが分かっていて、その本が必要である場合はAmazonで発注してしまうから。どちらかと言うと、そのAmazonで買った本が面白かったりして、その著者の別の作品が読みたくなった場合に書店へ足を運ぶということが多い。また、なんの用事もないのに本屋さんの前を通ってしまい、とりあえず中に入ってしまった場合など、先程の「迷子になる」現象が起きてしまう。こっちの方が確率は高い。

京都のジュンク堂書店の場合だと、まずは店頭に平積みされた書店のおすすめ・売れ筋作品から目を通し、雑誌コーナーを一巡り、新書コーナーと流れて、美術デザインのフロアへ行って、写真集やデザイン書などでタイトルを横目に見るともなく見ながらウロウロする。良い本(僕のなかで相性の良いもの)はオーラが出てて「手に取れ〜!読んでくれ〜!」という声が聞こえる(ような気がする)。その声に従って、おもむろに手にとってパラパラと数ページを見る。で、一冊の本を購入しようと決定すると、自分の中のハードルが一気に下るのか、それとも本に対する物欲センサーのリミッターが外れるのか、目につくものや気になるものを次々に手に取るようになってしまう。

そしてデザイン系の本を見ていたのがいつの間にか美術から伝統工芸に移り、あるときは仏像の成り立ちや宗教的意味合いについての本を手に取っていたりする。日によって、それが料理の本だったりする。
またある日はタイポグラフィの書籍を探していて、気づいたら和装の写真集を見ていたりすることがあり、本来は仕事で必要な資料を買いに来たのに、いつのまにか趣味なのか仕事なのか分からないものまで買っていることがある。(でもこれが後に役に立ったりもすることが多いのである!)

僕はこの流れを「本屋さんで迷子になる」と思っていて、それも実は楽しんでいます。

ひとつの本を手にとって、そのなかのタイトルや文章からまた次の、全く別の興味へと繋がり、それが繰り返されることで最後には全く違うものへたどり着く。言葉で引っかかり、意味が気になり、ビジュアルに惹かれる。その繰り返しと反復。とても無駄で、意味のない回り道をしているようだけれど、僕はこの「迷子」になる「寄り道」が大好きだし、デザイナーにとって、とても大切な気がしています。



ひとは経験したことがないものは想像できない

人間は自分で見たり聞いたり経験したこと、時には人から聞いたり、人がやっていることを見たりしたことしでか「想像」できないと思います。全く知らないこと、見たこともないものは描けないのだから。麒麟鳳凰、仏像なども最初にあれを描いた人のものを見て、それを伝えているだけの気がします。だから最初にあの意匠、デザインを作った人は、実際に見たか、爆発的なクリエイティブの持ち主だと思います。もし実際に見たということなら、麒麟鳳凰も実在することになるんだけど。

ま、本を探すことに近いのが、意味を調べる=辞書を引くことだと思う。ここでも「辞書の迷子」になるんだけれど、これは多くの人が経験していると思う。例えば、国語の宿題で意味を調べてる時に、全く関係のないエッチな言葉の意味を調べてみたり、横の単語が気になって辞書から百科事典に移行して調べてしまったり。



興味と好奇心の連鎖がデザインを生む

そうして最初は強制されたものであっても、そこから次の興味や好奇心に繋がり、それをどんどん広げて、終わりがない知識欲みたいなものに身を任せる「知識の迷子」というのが、ものを作ったり考えたりする人間には大切で訓練にもなると思っています。最短最速で答えにたどり着くネット検索も良いんだけれど、大きく遠回りしながら余計なものを身につけることもデザイナーには良いことなのかなぁと思います。デザインの知識や技術だけでなく、どれだけ「その他のもの(余計なもの)」を知っているか、どれだけ経験したことがあるか、その経験した人や考えや技術に共鳴できるかということが大切なデザインの厚みになるような気がします。ひとつひとつの仕事=案件をデザインする際にそのことについて勉強するのは当たり前だけど、長い間に溜め込んだ「一見余計で役立たないような知識」が、何かの切っ掛けでスパークするように一気につながって意味を成すことが良くあるのです。本当に。これは、人と人のつながりにも言えることなんだけれど、これって京都だけなのかな?


ということで、
さて、これからはどこで迷子になろうか。



最後に。

僕は独立した時に、本だけは自由に買えるようになりたいと思ってました。それが高価な本であろうと、僕のデザインや自分のために役立つと思ったら躊躇わずに買えるだけの仕事をしようと決めていました。今のところ、それだけは守れています。

そして、京都にはジュンク堂書店以外にも素敵な本屋さんがたくさんあります。
僕が迷子になってしまう魅力的な文房具屋さんもあります。

できれば、京都に「伊東屋」さんが出店してくれないかなぁ。

京都市長選挙から、選挙の仕方について考えてみた

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2020年1月19日 京都市長選挙が告示された


京都市長候補は3名


京都市長選挙が1月19日告示、2月2日投開票ということで始まった。
2週間の選挙戦。

今回の候補は3名

門川大作氏(かどかわ・だいさく 69歳):現職、公明、自民府連、立憲民主府連、国民民主府連、社民府連推薦

●福山和人氏(ふくやま・かずひと 58歳):弁護士、共産、れいわ新選組推薦

●村山祥栄氏(むらやま・しょうえい 41歳):市議会議員

いずれも「無所属」となっているけれど、門川さんと福山さんは既存政党の推薦は受けてるし、当選後も何らかの党と協力関係になるはずなのに無所属って意味がわからない。また村山さんは京都党の代表を辞任して離党したということらしい。京都のための政治をすると言い続けてきた人だけに、その離党にどのような意味と覚悟があるのかわからないんだけれど。
まあ、市民に対して「どこかの政党のための政治はしません」というイメージ持たせたいとうことなのだろうか。

各候補の掲げる政策や主張については、それぞれのWEBサイトなどをご覧ください。

門川大作オフィシャルサイト
http://www.kyoto-daisakusen.jp/
門川大作 Twitter
https://twitter.com/miraikyoto2020

福山和人オフィシャルサイト
http://www.fukuyamakazuhito.jp/
福山和人 Twitter
https://twitter.com/kaz_fukuyama

村山祥栄フィシャルサイト
https://xn--n8jdg2dtn022v15p.com/
村山祥栄 Twitter
https://twitter.com/sho9722483



盛り上がらない京都

で、今回の京都市長選挙は重要な選挙ではあるんだけれど、京都は選挙が盛り上がらない。京都に生まれ育ち、選挙権を得てから30年以上経つけれど、盛り上がった試しがない。ま、何をもって盛り上がってると言うのかは疑問だけれど、京都は割と大きなイベントでもそれを市民が知らない内に終わってるみたいなことがよくある。行政の告知が内向き(市民へ向けたもの)ではなくて、市外(東京方面など他府県)に向けて展開されているからではなかろうか。

門川さんの4選目となるのか、それとも新人が勝つのかという見方をすると面白くはあるけれど、今日は京都市長選挙の話ではなく、「選挙制度」のお話。

告示から投票までは、2週間。この間に候補は事務所を拠点にスタッフと共に車に乗って選挙区内を縦横無尽に移動し、声を枯らして政策などを訴え、そして手が擦り切れるほど人々と握手して回る。うぐいす嬢の「京都市長候補◯◯でございます。◯◯が京都を変える、明るい京都市政を◯◯が実現します。」などと、まずは名前を覚えてもらうために比較的指名を連呼する形がメインとなる。
ひと昔前に比べると、演説会を開催したり、WEBサイトでしっかりと政策を伝えたり、Twitterでつぶやいたり、今どこで演説しているかなどリアルタイムで見えるようになった。

とは思うけれど、選挙の度に思うことがあって、もしそれを実現してくれる政治家がいるのなら応援したい。



選挙の仕方が時代とズレてる

候補者は、選挙管理委員会や法律の定める範囲で選挙戦を戦っていると思うので、やはり選挙制度を改革して欲しい。これは京都市だけの話ではなく、国会議員も含めてすべての「選挙のやり方」を見直し、変えていただきたいなと。

現在の選挙は、各候補のオフィシャルサイトや個人アカウントのTwitterなどを僕たちが自らが追ったり、遊説を見に行ったり、テレビなどのメディアなど注意深く見たり読んだりしないと候補者の考えや人となり、政策などはっきりと理解できない。かなり強い意志と好奇心、探究心、政治への関心がないとそんなことは中々できない。
なので、未だに選挙ではアホみたいに候補者の名前を連呼するだけか、キャッチーな言葉と名前を訴えるだけの選挙戦となっている。あとはイメージづくり。

ほとんどの人がたった2週間の、ほんの少しの時間、どの候補に投票すべきかを決定するために、たまたま手にとった新聞などの記事で決めている気がする。

今やテレビやラジオを見聞きし、新聞を読むのは年齢の高い人で、その年代の人の数が圧倒的に多いとは言え、視聴率や購読者数などは年々減少しているので、有効かどうか甚だ怪しい。新聞に広告を掲載しても、その地域で購読してる人の数は大凡分かるけれど、本当に読んだかどうか、その広告を見たかどうかなどはまったく分からないのである。よく今までそれで成り立ってきたなと、永年広告の世界で仕事をしてても思うけれど。



選挙制度(投票のための仕組み)は、こんなのが良い

1)選挙管理委員会は、すべての立候補者の情報を均等に偏りなく特設サイトに公開する
2)氏名、経歴、所属政党、後援組織、掲げる具体的な政策を掲載する
3)各候補のオフィシャルサイト、SNSアカウントなどもリンクする
4)選挙期間中、候補者が訴えたいことがあればリアルタイムで更新可能なページも設置する
5)PC、スマートフォンなどツールを限らず、誰でも閲覧できるものとする

上記のようなWEBサイトが選挙管理委員会の管理の元で公開すれば、そのサイトさえウォッチすれば誰でも公平に選挙で投票するための情報を等しく得ることができると思う。

その上で、

6)投票はネットからでもできるようにする
7)投票結果(集計)はリアルタイムでネット公開する



ものすごいお金を掛けて構築した「マイナンバー制度」をここでぜひ生かして欲しい。ネットからログインしてマイナンバーを入力して、そのまま投票できることになれば、投票率も爆上がり。セキュリティの問題は若干あるけれど、投票率が上がるというだけで政治家は根底から普段の活動の仕方、考え方など見直さないといけなくなるし、政治団体・政党も意味合いと役割が変わってくる。地方組織も変わるはずだし、何よりもなんの縁故も利権も金も持たない人でも立候補が可能になる。今よりも遥かに。

ついでに、北欧のように自宅のPCから住民票や戸籍謄本などの「判子を持って役所へ行かなければならない書類関係」をすべて自宅で入手、プリントアウトできるようになればかなり無駄が省けるし、他府県への転入や転出、婚姻届なども電子化して自宅にいながらネットで終わらせることができれば仕事の合間にでも可能になる。

少子化対策も同じなんだけれど、物事の本質を見ずにやるべきことをどっかに置いといて、何やら変なところに話が持っていかれることにとてもストレスを感じる。仕事でもそんなことあるよね〜。

と、こういう仕組みを考えることもデザインの一部だと思うので、政治の世界に飛び込んで改革するデザイナーが出ると良いなぁと思うのです。


さて、2週間後は誰が京都市長になってるんだろうか。
京都市が全国に先駆けて、ネット投票とかやってくれんかな。
新市長へプレゼンに行こうかな(笑

 

なにより、京都市民の皆さん。必ずこの京都市長選挙は投票してくださいね。前回の投票率は35%だったとか。しっかりと権利を行使しましょう。

 

 

世界の選挙制度

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