デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

たくらんときょうと

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カッコウは自分の巣で卵を温めずに、他のモズやホオジロオオヨシキリなどの巣に卵を産み付け、育てさせるという「托卵」という習性があります。カッコウの雛は、元のモズやホオジロたちの卵よりも早く孵化し、カッコウ以外の卵を巣の外に出して殺してしまいます。そして仮の親であるモズやホオジロからエサを独り占めして大きく育ちますが、仮の親はそのカッコウを自分の子供だと信じてエサを運ぶそうです。

京都ではないにも関わらず、京都発などと謳っていたり、京都以外に出店して住所だけ京都本店みたいなものが多い昨今、この話を何となく思い出しました。本物が静かに、そして上品に粛々と伝統を守り続けていいることを良いことに、大きな声で京都人には少し下品と感じるやり方で、京都を消費だけをしていく企業や人を見るにつけ、諦めと悲しい思いになりますが、この流れを止めるのはもはや不可能のようです。京都に店を構え、地域や人々に還元されるのであれば、それはひとつの潮流として歓迎すべきことだし、新しい物や事や人が集まることは喜ぶべきことですが、特殊な習慣や暗黙の了解などが多い京都に馴染むには、長い時間と気絶しそうな程の地道な努力が必要となります。たぶん。

京都に限った話ではないでしょうが、1年2年、せいぜい5年、10年のスパンで物事を捉え、結果を出し、費用対効果など数字で計るのはビジネスとしては仕方ないかもしれませんが、京都は百年単位、千年単位で結果の出る町だと思います。なにせ、京都の人に「先の大戦」と聞くと「応仁の乱」と答えるという笑い話があるくらいです。実際に「祇園祭」は1200年近く続く歴史がありますが、中止されたのは3回しかないと言われています。祭自体が中止になったのは「応仁の乱(1467)」一回だけで、山鉾巡行が中止になったのは「太平洋戦争(1941-1945)」と「阪急電車地下工事の影響(1962)」の二回だけ。なんとなく京都に流れている時間が桁違いなのを分かって頂けるでしょうか(笑

ということで、京都はすっかり秋。