デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

どう生きるのかを考えることは、人生をデザインすることでもあるんだという当たり前のことに気づく

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毎日寒いです。冬なので当たり前ですが、寒いです。

もう何十年も繰り返し経験してきたことなので、十分理解しているはずなんですが、それでも寒いと言ってしまうのが人間だったりします。そしてよく知っている、頭で理解しているつもりでも実際にその時、その場になると感情が理性を超えてしまうことがあったりします。

人の死に立ち会う時、特に親しい人や家族を亡くした時には、頭では「ひとはいつか死ぬ。死なない人間は居ない」ということを分かっていて、いつかそういう日が誰にでも訪れるということを理解しているつもりでも、やっぱり動揺したり悲しんだり、落ち込んだりするものですね。

 


死は突然訪れる

父は僕が16歳の時に交通事故で亡くなりました。バイク事故だったんですが、その知らせは突然のことで、当時高校1年生だった僕には現実感がありませんでした。現役バリバリの剣道部員でも、喧嘩して父に勝てるとは露ほども思わないくらいに頑丈で強かった父が、朝家を出たまま帰らぬ人となるとは夢にも思いませんでした。その事実を受け入れるというか、理解して納得するまでにかなりの時間を必要としました。

昨年、その父が尊敬もし、また親しくしていた僕の剣道の師でもある方が亡くなられました。父を亡くした僕を励まし、いつも見守ってくださった方で、道を見失っていた僕の人生を方向づけてくださった、正に人生の師でもありましたが、この方の死も突然の知らせでした。師も人一倍健康に気を使い、頑丈な身体を持っておられたと思うのですが、その頑固さから病に侵されていることを「誰にも知らせるな」と奥様に話し、独り闘っておられたと後に聞きました。訃報を受け取ったとき、亡くなられた悲しさと驚きもありましたが、なぜか懐かしさと共にもっと話をしておけば良かったという後悔の想いだけが強く残りました。



できるかぎりたくさんの人に会いたい

師の最後は、もし自分が余命宣告を受けたらどうするだろうかと考える切っ掛けにもなりました。僕が仮に「余命半年」などと医師に告げられたら、それは人生の残りの時間であり、死への準備の時間であり、病と闘う時間でもあるんですが、僕の場合はたくさんの人に会う時間にしたいと思っています。ただ、皆に余命が半年であることを告げるかどうかは迷うところですが、今までお世話になった方や親しい友人、兎に角たくさんの人に会っておきたいなと。もうすぐ死を迎えるという人間に会いに来られるのは相当なプレッシャーだと思うので、そっとごく普通に会いに行きたいかな。そんな体力と状況かはその時にならないと分かりませんが...

ということで、やはり「いつ死んでも後悔しないような生き方を常にしておけ」という言葉を師匠にいただいたような気がしています。いかに生きるかということも、もちろん大切ですが、いかに最後を迎えるかも大事なんだと思います。自分ではその時を決めることはできないんですが、それでも常に健康に気を配ることは、自分では知り得ないその時を待つのではなく、自然と死期を悟ることができるようになるために常日頃を過ごすということではないかと思います。


人生をデザインする

考えれば、自分の人生を考えることやどのように生き、何をいつまでに為すかということは人生のデザイニングでもあります。デザインを生業としている人間が自分の人生や将来もデザインできないというのでは、それこそシャレにならないなと思うのですが、これがなかなか難しい。。自分が100歳まで生きられるとは思いませんが、そういうことを考えると今何をするべきなのかみたいなことが朧気ながら見えるような気がします。それは若い時の得体の知れない自信が納まり、少しばかり世の中が分かった気がする年齢になったのからなのかも知れません。

ま、僕はいつも「何とかなる」と楽天的に生きてるところがあるので、たまにこういう機会に直面して、少し考えたりする方が良いのです。たくさんの人の笑顔につながるデザインや、ひとが幸せになるような仕事を心がけて、これからもグラフィックデザイナーを続けていきたいと思います。やっぱ死ぬまで現役ってのが良いなぁ。



トップの写真は、ある日の富士山。あまりにきれいなので思わず手を合わせてしまいましたw

スタンフォード大学dスクール 人生をデザインする目標達成の習慣

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