デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

感じると言うことが大切なんだなぁ

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デザイナーとしてお金を稼ぐようになって約30年。
もう嫌って言うほど色んなデザインをして、その度に死ぬほど悩んできたのに、未だにデザインが好きです。それがなんでかは、考えたことがありませんw


さて、昨日久しぶりにファッションの撮影に立ち会いました。
ディレクションしたという程ではありません。たまたま、いつも組んでいるカメラマンがオーディション風景をFacebookに投稿したのを見て、そこに写っているひとりの女性に目が止まったのが始まりです。

そこには僕が20代前半の駆け出しの、まだ独りでプレゼンテーションもさせてもらえず、原稿や版下を代理店に届けたり、図書館に行って必要な資料を調べたりする雑用・下積みから少し抜けだした頃、眩しい存在だった方が写っていました。


おーーーーーーーーーーーーーーっ!懐かしい。。
お元気そうだぁ。

ということで直ぐにコメントしました。


すると、ちょうどグラフィック・デザイナーを探してたということで、直ぐに「ちょっと来い」状態でお会いすることに。そして、色々と昔話をしている内にグラフィックでお手伝いすることになってしまいました。偶然って怖いですねw

そこからが凄かった。

打合せ(顔合わせ)から印刷入稿までが5日しかない。撮影は4日後。。

そう。撮影してから入稿までが、まる一日なかったのです(笑
ま、直感的にできると思ったので受けたのですが。。(断れないというウワサもあります)

今日、入稿を無事終えたのでこれを書いてたりしますw



いつものように前置きが長くなりましたが、今回は一流の仕事をする人は「それぞれ感じている」というお話です。


どんな撮影でも現場でのアドリブや急な変更、トラブルはつきものです。その時の対処の仕方や瞬間的な判断で係る人間に多大な影響を与えることになるので、ディレクターは全体を俯瞰で見ながら細部の詰めや確認もしなければなりません。

ディレクターの判断ミスや迷いが全スタッフの仕事を増やし、経費も積み重なって行くのです。

まわりのスタッフや立会に来ているクライアントの顔色を見ててもダメで、時にはクライアントにも厳しく意見を言わないといけないこともあったりします。現場でどんなに嫌われようが嫌がられようが、結果的に仕上がりが良くて評価されればチャラです。現場で好かれてても仕上がりがもう一つなものは、ダメなディレクター、デザイナーと評価されてしまうのです。デザイナーは結果がすべてです。


で、今回の撮影ではすべてのスタッフがそれぞれ良い仕事をしてて、自分の領域(専門)以外の人の動きも皆それぞれが知っていて、流れを読んでいるということに少し感動していました。俳優が自分以外の人の台詞もすべて覚えることで、自分の台詞をより上手く表現するというのに似ているかも知れません。

カメラマンがライティングをしている時など、次に撮る予定のカットよりもその次のカットを先にした方が良いと判断した場合など、小道具や衣装などが全く異なり諸々変更になるのですが、スタイリストやヘアメイクがそれぞれ全体の構成を把握していると、スムーズに入れ替えができます。撮影の現場はライブです。

そうすると、僕なんかは横でコーヒーを飲みながら「できた?」とか割りと無責任なことを言ってても許されます(笑

※そんなことは実際にはしませんよ



モデルとも事前に打合せはしてるけれど、衣装や小道具を身につけた瞬間にその特徴や機能が分かるのでしょう。その衣装(商品)のいい表情、一番写りの映える動きをしてくれる人がいます。

そのモデルは、優秀です。そして僕は、楽ですw


数をこなしていると分かってくることもあると思いますが、やはり感じようとし続けていること、より良くしようと考えていること、まわりの人間やデザイン、結果に対して想像力を持っていることが大きいなぁと、改めて思いました。


創造は想像から。
いろんな事を想像して、考えて、思いやる事は一見具体的なデザインと関係ないようですが、良いデザインには不可欠なことだと思います。


デザインは楽しい。