デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

飴ちゃんとおばさんとお稲荷さんと

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ずっと気になっていることがあるのです。

人を呼ぶ時は「田中さん」とか「優子ちゃん」と言うのがまぁ普通。たまに「社長はん」などと呼ぶ人もいるのだけれど、この「ちゃん」と「さん」と「はん」みたいなものの区別についてちょっと考えてみました。


というのも、関西ではたまに見かける光景なんだけど、例えば「おばさん」が電車で席を譲ってくれた見ず知らずの若者に「お兄ちゃん、ありがとうな。飴ちゃんたべるか?」とおもむろにカバンの中から飴を出して渡すというのがあります。TVとかでもよく言われるので見たことのある方も多いと思います。僕の場合は、実家で寛いでいる時に何の前触れも何の脈絡もなく「飴ちゃん食べるか?」と母親が話しかけてくることがあり、普通のことだと思っていたのですが、この「飴ちゃん」の「ちゃん」が急に気になってしまったのです。

人を呼ぶ時の敬称としての「〜さん」や「〜ちゃん」は何となく理解できます。自分からの距離が近いと感じている人には、その親近感から「〜ちゃん」と言ってしまい、オフィシャルな場所やそれほどまだ親しくない人には「〜さん」となる。ビジネスの場合では「〜様」と呼ぶ場合も少なくないと。業界の場合は、親しさをアピールするためなのか割と初対面に近い人でも「〜ちゃん、元気?」などと言ってくる自称プロデューサーが多くいらっしゃいますw


で、僕の生まれ育った関西、特に京都ではあらゆるものに「さん」を付けて呼ぶことが多いのです。

お芋さん
おあげさん
おくどさん
お豆さん 
お稲荷さん
天神さん
八坂さん
etc...



食べ物や神社、道具などに感謝して、畏敬の念や大切に思う気持ちから「さん」をつけ、親しみを込めて接する気持ちは大変よく分かるんですが、小さい頃からなぜ「さん」がつくのか分からないものがひとつあります。それは…


「うんこさん」


毎日つき合うための親しみなのか、これを投げつけられでもしたら敵わないからなのか…

おそらく昔は病気や体調を知るためのものだったので、大切だという思いから「さん」を付けたのではないかと僕は思っているんですが、さて本当のところはどうなのでしょうか。


あらゆるものに畏敬の念を持って、大切に使ったり、感謝する気持ちはものづくりの上でも大切だと思います。そのものを良く知り、それを使う人を知り、色んなことを考えて大切につき合って行くために丁寧にデザインする。

やはり創造は想像からなのです。




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丁寧なほど、おそろしい 「京ことば」の人間関係学

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