デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

神様はそんなにいない

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先日京都のENJOY大学で「デザインでマーケティング」というタイトルでセミナーの講師をさせていただいた。スライドをAppleKeynoteで作成したんだけど、なんだかんだで約300枚の超大物になってしまった(笑

80分の持ち時間を超えるんじゃないかと思ったんだけど、結局は少早く終わって実践コーナーに移ることができた感じでホッとしました。たくさんの方に参加いただき感謝しています。(ちゃんと伝わったかな...)


このセミナーで、僕はデザインってなんだろうか?ということを、僕のものの見方、考え方、整理の仕方などの切り口でお話させていただきました。その中で日本的なものの捉え方、見た目の装飾ではない「所作」や「様式」みたいな目に見えないものを大切にしたいと強調しました。



で、少しデザインとは離れるんだけど、最近感じる「お客様は神様」という考え方に対する気持ち悪さや「お金を払っている客が偉い」という勘違いに対する苛立ち。

いつからこの考え方が定着したんだろう?

お金を払う方は確かに「客」なんだけど、お金と引き換えに「商品」や「サービス」を手に入れる。商売してる方からすると、「買っていただけるので有り難い」ことには違いないんだけど、逆を返せば「売ってもらって有り難い」だと思う。どっちが上とかなくて、フィフティの関係で、それぞれが出来ないことをして補っていると思います。

僕は船も持ってないし、海のこともよく知らないから、漁師さんが獲ってくる魚を食べたければ買う。魚と等価交換するものがあればそれでも良いんだけど、現代は「お金」という便利なものがあるからそれで交換する。それだけのこと。買う方も売る方もどっちが偉いってことはないような気がします。

僕は小さい頃からお店の人にお金を払うとき「ありがとう」ということを言うように育てられました。小さい時はこの意味が分からなかったんだけど、今はちゃんと感謝してものを受け取ることを理解しているつもりです。


今僕はデザインを得意としているから、それを必要としている人のために「デザイン」というカタチの有るような無いようなものを提供している。そして、それに見合った対価を「お金」でいただいている。

昔、独立したての頃は、デザイン費としてゲーム機をもらったり、テレビをもらったり、本をもらったり、原始時代の物々交換的なこともよくありました。
今でも物々交換しても良いんだけど、そういうことが増えると
税金とかってどうなるのかな?誰か詳しい人居ませんか?(笑


※写真は夏の思い出です。記事とは無関係ですw

 



なぜ「お客様は神様です」では一流と呼ばれないのか

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