デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

デザインの視点と支点

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「この世にデザインされていないモノはない」とは誰の言葉か忘れたけれど、デザインが誰かのために使いやすくなったり、分かりやすくなったり、少し幸せになったりするように心がけています。

 

そして、すべてのデザインには「対象」と「目的」があり、必然でなければならないと言われています。少し難しい言い方になったけど、アーティストのような「自由な創作」はないと言うこと。依頼者が居て、目的があって、それなりの結果が出ないと成立しない世界。デザイナーとアーティストは同じ世界の人間だと思っている人が多いんだけど、実は対極に居ると僕は思います。リンクする部分は多いけど、仕事という意味では全く違う気がします。

 

で、デザインの世界ではクライアント(依頼者)の代弁をデザインという方法で行うことが基本になるんだけど、例えば同じ商品を同じ対象に向けて広告する場合でもデザイナーによってその表現は大きく異なります。そして、その違う表現それぞれが正解だったりもします。





答えはひとつじゃないということ

また、デザイナーは依頼者であるクライントの方ばかりを見ていると、本来そのクライアントのお客様である消費者を置き去りにしたりすることもある。かといって、消費者や社会の方ばかりを見てもなんだかよくわからないことになる。




デザイナーはどっちを向くか?

これは難しいことなんだけど、答えは「どっちも向かない」だと僕は思っています。クライアントと社会(消費者:多くの人々)が両端に乗ってるシーソーで、デザイナーはその支点となるバランサーのような存在。
クライアントに言いたいことがたくさんあって少し重いようならクライアント寄りにバランスを取ったりもするし、また2者の距離が凄く離れた長〜いシーソーならそのバランスのポイントを探す作業から始まります。




デザインで表現されるビジュアルは結果

クライアントが発するモノへの想いや拘り、社会へのアプローチなしにはデザインなどできないのです。デザインは無から何かを生み出す仕事ではないのです。

クライアントからお金をいただいて、クライアントのためにデザインをするんだけど、そのクライアントの商品やサービスを通して、社会や多くの人々のためになるようなことをお手伝いする、見えないスイッチを探して押すのではなく、「ほら、ここにこんなスイッチがありますよ」ってことを言うようなデザインが良いのかなぁと思っています。

 


今の時代だから大切なこと。

 

 


なんとなくそれくらいの気分。

 

 

(写真はブランコなんだけどw)



 

河北秀也のデザイン原論

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