デザインの余白

グラフィックデザイナーのひとりごと。デザインのこと、京都のこと、そして気になること。

フリーランスで食っていくということについて

f:id:gridGraphic:20160129230239j:plain



今年に入ってから暖かい日が続き、ゆったりとした気分で居たのですが、1月も終わりに近づき、仕事もゆったりし過ぎていていることに気づいて少し焦っているフリーランスのデザイナーです。

ということで、Facebookでシェアされてた記事を読んで今まで考えてもみなかったことを少し考えてみました。その記事というのはこちら ↓

biz.moneyforward.com

「10年経ってもフリーランスとして食べていける人の6つの特徴」ということで、タイトルからして気になってしまいます。記事を読んでなるほどと思うところもあったし、僕の場合は違うなぁと言うところもありました。何がどうなのかはリンク先でブログを読んでみてくださいね。

僕はフリーランスになって17年目になります。改めて年数を文字にすると結構長い気がします。会社に勤めて給料やボーナスをいただいていた期間(10年)よりもフリーランスの方が長くなってしまっています。まぁ何とかなるもんだなぁという感想ですが、安達裕哉氏のブログ(上記のリンク参照)を読んだことを切っ掛けとして、僕もフリーランスとしてデザイン(主にグラフィック)をする上で、決めていることや気にしていることをまとめてみます。



1.ウソはつかない

ロゴやマークを作ったり、名刺をデザインしたり、ビジュアルを作るグラフィックデザインの部分だけであれば、デザインする上でウソも何もありません。しかしこれが広告的要素が入る場合、ウソが混ざることがあります。ウソというよりも少し誇張して表現することや何かに例えたり、置き換えてものを言うことがあります。広告手法としては当たり前なのですが、「より分かりやすく表現すること」や「よりインパクトを与えるため」や「強い関心をもってもらう」ものを毎日考えているとエスカレートしてしまう場合があります。毎日刺激を受け続けると同じ刺激では物足りなくなるように、感覚が麻痺することがあります。

もっと分かりやすく、もっと伝わりやすく、もっとインパクトのある、もっと美しく....という「もっと」とは、常識的な見方から少し角度を変えて見せたり、一般にはまだ知られていないけれど、こんな部分もあるんですよといった補足説明の延長線上にある場合はウソにはなりません。しかし、商品やサービスにないものやない機能をあるように見せるのはアウトです。この辺は「景品表示法」などの法律で制限されていたりするので、消費者に誤解を与えるような表示をすると罰せられることになっています。

と難しいことを書きましたが、例えば「美味しくないものを美味しく見せろ」とか、「カッコ良くないのにカッコ良くしてくれ」とか、「お得でもないのにお得感を出せ」といった消費者にウソをつくようなことはしないし、そういうことを求める企業やお店の仕事はしない、もしくは是正していただくということにしています。あくまでも僕基準の判断ですが、その商品やサービスを受ける(購入する)お客様にウソをつく行為は、短期的にはその企業やお店の利益になるかも知れないけれど、長期的には不利益になると思うからです。双方にとって良くなることがデザイナーの仕事だと思います。お金を貰えば何でもするというがプロとは考えていません。

「ま、そんな硬いことは言わずに...」ということもままありますw




2.ムリはしない

デザイナーにも得意な分野や好きなことがあります。なんとなくデザイナーは万能で、プロはどんなオーダーにも応えるべきだと思われがちですが、そんなことはないと僕は思っています。和風のデザインが得意なデザイナーがいれば、イラストを使うのが上手い人もい居ます。またタイポグラフィを得意とする人がいれば、ページの多い編集ものが好きな人も居ます。プロなので依頼者のどんなオーダーにもちゃんと応えますが、それでも得手不得手はあります。

ムリをしないと言うのは、不得意なことはしないということではありません。今まで経験したことのないジャンルの依頼があり、悩みながら苦労して、自分なりに勉強をして完成させることで新たな境地が開くこともあります。またそのジャンルや業界のことを知らないが故に、思いがけない新しいアイデアが出てヒットするということもあります。僕の言う「ムリをしない」とは、できないことやったことのないものの場合、時間が掛かる可能性があること、またそれを許して欲しいことなど伝え、待っていただけるようであれば全力でデザインをする。そして待てないという場合は僕の知り得る限り、その依頼内容の合う、それを得意とするデザイナーを紹介することにしています。カメラマンでもライターでも同じです。紹介するということは、自分が受けると同じく責任を持つということにもなるんだけど。。

そうこうしてる内に、仕事を依頼してくださる方々が僕の得意そうな仕事や、僕ができそうな仕事を持って来てくれるようになる感じです。ほんとうにありがたい話です。



3.ヒトに会う

フリーランスになって事務所を設立しても、すぐに忙しい訳ではありません。電話が鳴らない日もあったり、何もすることがなくて自分の名刺を何度もデザインしたりすることがありました。要するに暇なのです。。そして暇ということは、当然収入がないということになります。フリーランスですから、サラリーマンのように仕事が無くて暇でも給料をくれる人は居ません。すべて自己責任ということになります。
なので収入がないと段々と外に出なくなります。映画を見るにも食事をするにも、電車に乗るにも人に会うにも、外出するとお金が掛かります。それに稼いでもないのにフラフラと外に遊びに行くことは、家族の手前もなかなかできないものです(笑

そして、人と会う機会が減っていくと不思議と仕事も減っていくような気がします。人に会うと新しい情報を教えてもらったり、アドバイスをいただいたりすることが多く、何より楽しくて刺激があります。今ではお陰さまで少しは忙しくなっていますが、どんなにスケジュールが詰まっていても、できるだけ人と会うようにしています。自分から会いたいとお願いしたり、飲みに行こうと誘ったり、イベントを興したり、誘われたらなるべく断らないように積極的に機会を作ります。

暇だと仕事は更に減り、忙しいと更に仕事が増える。デザイナーのあるあるかも知れません。動き続けることで常に新しい発見を繰り返しているのだと思います。サメのように止まったら呼吸ができないみたいなw



と、長々と書いてきましたが、こうして書いてみると別にデザイナーでなくても同じことが言えるような気もしますね。デザイナーとして必要だと思うことは、また機会があれば書いてみたいと思います。



トップの写真は、鉛筆です。今はほとんど使わないのですが、鉛筆を削るとものすごく落ち着くので、今もアイデアに詰まった時に削って眺めたりしています。みなさんもお試しください。


【追記】
後輩の駆け出しフリーランスデザイナーによく質問されることに、著作権やギャラの不払いなどの対処法があります。クライアントとの関係などがあり、法律や正論でスパっと割り切れないことも多いのですが、一応の法律的な知識もあれば役立つこともあるかと思います。この辺のこともフリーランスとして食っていくためには大切なので、また書いてみたいと思いますが専門家に相談することが一番です。とりあえずは参考までに↓

クリエイターのための法律相談所

クリエイターのための法律相談所

 

 

デザイナーのための著作権ガイド

デザイナーのための著作権ガイド

  • 作者: 赤田繁夫,上野善弘,大井法子,久野寧子
  • 出版社/メーカー: パイインターナショナル
  • 発売日: 2010/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • クリック: 151回
  • この商品を含むブログ (2件) を見る
 

 

アカン顔とオカン顔

アカン顔。

そう、アカンのです。どういうのを指して「アカン顔」なのか説明できませんが、直感で「アカン」と思う顔としか言いようがありません。僕は母親に似てると良く言われるので「オカン顔」であることは確かです(笑

ということで、毎朝歯磨きするときに鏡を見て、その時の顔が「アカン」ようになったら引退しようと思っています。何を引退するのか分かりませんが、多分仕事とか色々。世間から少し距離を取るかも知れません。
 
おそらくアカン顔になるというのは、嫌なことを続けているか、自分に嘘を付いてるか、なにか良からぬことを考えてやっているか... そんなことだと思うのですが、そんなことっていつかは顔に出てくると思うのです。自分の知らない間に、滲み出るように。。

「男の顔は履歴書」とか言うじゃないですか。

なのでアカン顔の人に僕は近づかないし、できれば一緒に居たくないと思うのですが、この直感は大抵の場合当たってる気がします。もし自分がそんな「アカン顔」になってしまったら、ひっそりと山奥で暮らそうと決めていたりします。そうなってしまった自分に自分で気づくのかどうかは分かりませんが...
 
もし僕がアカン顔になってたら「自分、顔変やで!」と言ってやってください。山に入りますので(笑

 
ということで、たくさんの人が笑顔になれるように今日もデザインします。

謝罪と成功する秘訣、そして眠れない夜

f:id:gridGraphic:20160123121421j:plain


今週末から来週にかけて、60年に一度の寒波が押し寄せるとのことです。「今年はなんだか暖かいね〜」などと正月休みには呑気なことを言ってましたが、この数日は死ぬかと思うほど寒いです。(京都人の感覚としてですよ)

お陰でレッグウォーマーと腰のヒートサポーター(ミズノ ブレスサーモ)を買ってしまいました。これが暖かい!なぜ今まで装着してこなかったのかと思うほど。(単に年を取ったからで、若い時は寒さをものともしてなかっただけです。。)


ということで、寒いといえば少し前から気になっていることこがあります。

謝罪。

最近もSMAPベッキーさんが謝罪されてましたし、政治家や企業のトップなどがする謝罪会見というのをテレビなどでちょくちょく目にします。そして、その謝罪やその関連記事やネットで流れるあれこれを見るにつけ、モヤモヤ感がつのるばかりで一向にスッキリとしません。普通は、会見をして謝罪または釈明すれば、「そういうことだったんだな...」などと少しは納得できるものですが、それがない。。

以下、最近の傾向。

1)誰に謝っているのか分かりにくい
2)誰が謝っているのか分かりにくい
3)なぜ謝っているのか分からない
4)どう対処していくのか分からない

ということで、本来なら原因を説明して、反省・謝罪して、対処・改善するということを表明するのが謝罪会見のはずですが、そのどれもが満たされないで「謝罪会見をした」という事実だけが残ります。そして、おそらくテレビの前にいるある特定の人に向けて謝罪しているんだろうことが薄々感じ取れるわけで、それなら会見などせずに直接その本人に謝れば良いのにと思ったりもします。または直接謝るべき人に謝らずに、有耶無耶にしたいがために謝罪会見をしていると受け取れるものもあります。

心がこもってないという感じが見て取れて、謝罪している本人たちも納得してないんだろうなぁと、なんだか寒い気持ちになってしまいます。


と、人のことは見えるし、こうして好きなことが言えるんですが、自分のこととなると急に見えなくなるのも人間の不思議なところです。「100%ヒットさせるマーケティングの達人」や「必ず成功させるコンサルタント」などをよく目にしますが、絶対に成功するビジネスや100%儲かるなんとかを教えてくれる大変素晴らしい方いらっしゃるんだとは思うのですが、なぜその方はご自分でそれらを実践して成功したり儲けたりしないんでしょうか?もう成功しすぎて、人様に教えようとマザーテレサのような慈愛の境地になっておられるのだろうか、競合する人間が増えるだけなのに… などと考えると、「春日三球・照代」師匠のように眠れなくなってしまう今日此の頃です。


おっと、来週プレゼンテーションする案件を仕上げなければ!
誰か「100%プレゼンが成功する秘訣」みたいなのを教えてくれませんか?(笑


 
※トップの写真は、三球・照代師匠にちなんで地下鉄のホームです。分かるかなぁ〜w


(ミズノ)Mizuno ブレスサーモ ふくらはぎ+足首(2枚) 19SP598 09 ブラック F

(ミズノ)Mizuno ブレスサーモ ふくらはぎ+足首(2枚) 19SP598 09 ブラック F

 

 

 

(ミズノ)Mizuno ブレスサーモ 腰用サポーター (1枚) [UNISEX] 19SP391 09 ブラック F

(ミズノ)Mizuno ブレスサーモ 腰用サポーター (1枚) [UNISEX] 19SP391 09 ブラック F

 

 

成人式とデザインと革ジャン

f:id:gridGraphic:20160112205344j:plain



祝・新成人!

昨日は成人の日でしたね。今年の新成人は126万人とのことで、昨年よりも5万人多いそうです。若者が増えるというのは、なんだか心強く未来が明るいような気がしますが、僕が生まれた1968年の新成人は236万人と、今年よりも110万人も多かったんですね。因みに、ここ50年で一番多かった年は1970年で246万人。それ以降は150万人から200万人程度で増減し、2000年以降150万人から徐々に減少してきているようです。(総務省統計局のデータ)う〜ん、今年少し増えたと言って喜んでも居られないですね。。少子化の波は確実に来てますね。

ということで、僕が二十歳の成人の日は何してたかというと、専門学校を卒業してデザイン事務所に就職が決まったということで、DCブランドのスーツを着て同窓会に参加していました。バブルが弾けた後でしたが、今に比べるとまだイケイケな時代でした




二十歳の丁稚

僕がデザイン事務所で最初に与えられた仕事は、書籍の整理と資料探し、モデルのコンポジットの管理、トレスコープで紙焼き、ロットリングで版下のトンボ切り、そして原稿を届けたり受け取ったりするパシリです。Macなんかは当然ない時代で、携帯電話はまだでっかい無線機みたいなもので極一部の人しか持ってませんでしたし、当然メールもありませんでした。カラーコピー機も出始めで、ラフやカンプを作るのもほとんどすべてが手作業。一日が60時間くらいあっても足りないような毎日でした。

この下積み?時代のお陰で、今も随分と役に立っていることがたくさんあります。例えば「資料探し」。これは、先輩や上司からイメージを指定され、それに合ったものを書籍や写真集、またレンタルポジのカタログから探してカンプ制作や企画書の資料などにするものとなります。例えば、こんな感じで指示されます。

「赤い花で、遠くに外国の風景も欲しい。モデルは要らない。カッコ良くてオシャレなヤツ。ピーター・リンドバーグっぽいの」



他人のイメージとリンクするのは難しい

人のイメージと僕のイメージは、どんなに事細かに指示されても100%合致することはありません。そして「カッコいい」などのキーワードも人によって、その「カッコ良さ」は異なります。しかし、先輩や上司が求めるものを提出しなければなりません。しかも、素早く。。

最初は僕がコレと思うものを出来るだけ多く見せるようにして、先輩や上司に最終的に選んでもらってましたが、これだと「当てもん」に近く、先輩や上司が多くの中から一枚を選ぶための時間が必要になります。一から選ぶよりは時間が短縮できるとはいえ、やはり頼み甲斐がありません。でも「資料探し」を何度か繰り返す内に先輩達の各個人の好みや各案件の傾向、デザインのテイスト、企画内容、予算などが見えるようになりました。そして、最終的には実際に写真を撮影するのか、レンタルなのかなどもを考慮して、写真・資料を集め、必要最低限の提案で資料を渡すことができるようになり、今もクライアントの依頼や状況の把握などに生きていると思います。自分の欲しい、カッコいい感覚と相手のそれらを結ぶ何かを掴むヒントがありましたが、今の時代は直ぐに「ググれる」ので、なかなか体験できることではないですね。



一心不乱と革ジャン

暫くは毎日デザインしかしていない、デザインしか見ていない日が続きましたが、今思うとこう言う期間がどんな世界でも必要なんだなぁと。スポーツでもなんでも、一心不乱に打ち込むときは必要です。しかし、それしか見ていないと狭い世界にはまり込み、結果的に自分の目指す道すら見えなくなることもあります。というようなことに気付いたのが入社3年目くらい。そろそろ一人前に仕事もこなせると勘違いする頃で、自分はこんなことをしていて良いのか?などと考えたりします。そして、僕は最初の退職願を上司に出すのですが、受理してもらえず悶々としてしまうのでした(笑

当時のデザイン事務所の給料がどのくらいか、駆け出しデザイナーには知る良しもありませんでしたが、友達から聞く給料よりは遥かに安かったようです。僕の技術やデザイン能力から、それが妥当かどうかも分かりませんが、かなり安かったんじゃないかと僕自身思いますw


で、トップの写真はその頃買った革ジャン。今も現役です。もう25年のお付き合いになりますが、まだまだ大丈夫。当時は清水の舞台から飛び降りる気分で買ったんですが、今思えばそれ程高価なものではありません。でも当時の僕には給料の三分の二ほどする大金で、しかもデザインで稼いだお金で買う最初の少し贅沢なものだったので、今も大切に着ています。あの時は、なんだか一人前のデザイナーになった気がしたものです。

二十歳の成人式から、つい駆け出しデザイナー時代を思い出してしまい、長くなってしまいました。またMacがない時代の写植や印刷やデザインの面白い話や、僕が経験した生き馬の目を抜くような広告の世界の話、東京で迷子になった話など昭和テイストのネタを書いてみるのも良いかなと思ったりもしてますが、書かないかも知れません(笑



命を掛けている人は美しい

日曜日は基本的に自宅でダラダラと過ごすことが多いです。ほとんど畳一枚分のスペースから移動することもなく、本を読んだり、溜まった録画を見たり、映画を見たり、ゲームをしたり。。 夕方になって料理をするために買い物に行くまで、そんな感じで過ごします。たまに庭の手入れや掃除なんかもします。

という感じで、今夜もボケ〜っとテレビを観ていた次第です。

2015年12月13日の「フィギャスケートグランプリファイナル2015」。実は浅田真央ちゃんが気になっていたのです。結果は少し残念でしたが、やっぱりかわいいなぁと。

で、そのまま見続けていたところ、気がついたら正座して見ていました。(というくらいピッとしたということです)なんだか凄みを感じました。僕はフィギュアスケートのルールや深いことは分かりませんし、生でみたこともありませんが、今日はその神々しい雰囲気とすばらしい演技に見とれました。と言っても女性ではなく、男性です。。 羽生結弦選手。

演技中の姿には自信が溢れて、なんだか神憑っていたように見えました。安倍晴明でしたし。。テレビを通してまで言葉では表しにくい何らかの力が伝わってくるようでした。ちょっと久しぶりの感覚です。そのとき、ある人の言葉を思い出しました。

「命を掛けている人は美しい」

まさにその通り。
僕には羽生選手が命を掛けているように感じ、またその姿に感動したのです。おそらく彼は命を掛けるというよりも、命を削るほどスケートに打ち込んでいるのでしょう。そしてその気迫のようなものが人を感動させ、凛とした姿になり、会場からテレビの前にまで伝わる気配となり、それらがまた結果を引き寄せるんだと思いました。そして結果を出すからまた自信に繋がり、また一歩新しい世界が開いてゆく。。

そうそう命を掛けるようなことはありませんが、そういう風に思える事があることは幸せなことだと思いますし、そういう時が誰にも人生のなかではあると思います。。僕にも確かにあったのですが、ここしばらく忘れていたようでした。

ということで、なんだか若い時を思い出し、メラメラと勇気が湧いてきたのでした。



何気にテレビを見るのも良いもんだと思った休日の夜。
明日からもっとデザインをがんばろうっと。

 

 

フィギュアスケートMemorial グランプリシリーズ2015 in グランプリファイナル

フィギュアスケートMemorial グランプリシリーズ2015 in グランプリファイナル